小倉競馬場
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小倉競馬場
小倉競馬場スタンド
施設情報
所在地福岡県北九州市小倉南区北方四丁目5-1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度50分34.8秒 東経130度52分29.1秒 / 北緯33.843000度 東経130.874750度 / 33.843000; 130.874750座標: 北緯33度50分34.8秒 東経130度52分29.1秒 / 北緯33.843000度 東経130.874750度 / 33.843000; 130.874750
開場1931年7月4日
所有者日本中央競馬会
管理・運用者日本中央競馬会
収容能力有料指定席 (A/B):1,192席
シルバーシート:90席など
コース
周回右回り
馬場芝・ダート・障害
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小倉競馬場(こくらけいばじょう、英: Kokura Racecourse)は、福岡県北九州市小倉南区北方にある中央競馬競馬場。中央競馬のローカル開催場で唯一、障害専用の周回コースを有するほか、中央競馬で唯一、九州産馬限定競走が行われている。小倉競馬場付近の空中写真。2009年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成小倉競馬場付近の空中写真。1974年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成2007年までゴール板に使用されていた小倉祇園太鼓のモニュメントパドックパドックに描かれた小倉祇園太鼓
コース概要

平地競走用の芝コース・ダートコースのほか、東京中山京都阪神を除く中央競馬のローカル開催場では唯一、障害専用の周回コースを有する[1]

芝コース・ダートコースともに1周距離は福島競馬場とほぼ同じで、第4コーナーからゴールまでの直線も芝コースは293m、ダートコースは291.3mで、中央競馬のローカル開催場としては標準的な大きさとなっている。2コーナー付近に小高い丘(高低差:芝コース3m/ダートコース2.9m)が設けられているのが特徴。これ以外はは大きな勾配がなく、ゴール板過ぎから緩やかに上って2コーナー過ぎから緩やかに下り、3コーナー付近にわずかな上り勾配はつけられているものの、4コーナーまではほぼ下り。最後の直線は平坦となっている。4コーナーにはスパイラルカーブが設けられている[1]。特に芝1200mはこの小高い丘(2コーナー)にスタート地点があり、発走直後からほぼ下り通しとなることからスピードの絶対値が問われる[1]。1999年の「北九州短距離ステークス(オープン)」でアグネスワールドが記録したタイム(1分6秒5)はJRAレコードとして22年間破られなかった[2](2021年7月3日にプリモダルクが1分6秒4で記録更新[3]。なお、翌日の7月4日にはファストフォースが1分6秒0を記録している[4])。

芝コースは幅員が最大30m(Aコース)あることも特徴となっており、ローカル開催場としてはかなり広く、A・B・Cの3種類のコースを使い分けることができ、芝の傷みが分散されているほか、開催の間隔が長くとられていることから芝の養生期間も十分にとることができるため、総じて馬場が傷みにくい[1]

1999年平成11年)に全面リニューアル工事を施し、芝生の根に直接散水する「セルシステム」(自動給水装置)を世界の競馬場で初めて採用した[2]
芝コース

1周距離: Aコース1615.1m, Bコース1633.9m, Cコース1652.8m(いずれも右回り)
[1]

直線: 293m[1]

幅員: Aコース30m, Bコース27m, Cコース24m[1]

距離設定: 1000m, 1200m, 1700m(A・Bコース時のみ使用), 1800m, 2000m, 2600m[1]

出走可能頭数: 1000m・1800m・2600mは16頭, 1200m・2000mは18頭, 1700mは14頭(いずれもAコース使用時)[5]

ダートコース

ダートコースは芝コースと障害コースに挟まれて設置され、ダートコースの距離標(ハロン棒)は、JRAの競馬場で唯一、内照式となっている。

1周距離: 1445.4m(右回り)
[1]

直線: 291.3m[1]

幅員: 24m[1]

距離設定: 1000m, 1700m, 2400m[1]

出走可能頭数: 1000mのみ14頭, その他は16頭[5]

障害コース

障害コースはダートコースの内側に設けられており、すべての距離設定で最後の直線は芝コースを使用する。かつては馬場中央で2本の襷コースが交差していたが、第2コーナーから第4コーナーへ横断する襷コースは長らく使用されず、1970年の馬場改修工事の際に、現在の形態に変更された。2015年までは2900mの距離設定が存在したが、現在は40m短縮され2860mの設定に変更されている。障害はバンケットを含め8つで、生垣が4つ、上下動式の竹柵が1つ、水ごうが1つ、可動式のハードルが1つ設置されている[1]。障害コースには専用の距離標が設置されているが、これはJRAの競馬場では当場と京都競馬場(2023年のリニューアルにて設置)のみである。

1998年まではスタンド前に障害が2つ、向正面に3つの障害が設置されていたが、1999年の改修工事以降スタンド前の障害が3つになって、向正面の障害は2つになった。また、内馬場を横切る襷コースに、福島競馬場と同様の築山型バンケット(4号障害・高さ2.76m)と最後の直線コースに可動式障害(8号障害・高さ1.2m)を設置した[注釈 1]

1周距離: 1309m(襷コース:415m)[1]

幅員: 16 - 20m[1]

距離設定: 2860m、3390m[1]

出走可能頭数: 2860mは12頭、3390mは14頭[5]

スタンド

1999年に改築されたスタンドは6階建てで、3階以上の座席が前面ガラス張りの屋内席となっている。3階・4階のゴール寄りが指定席、第4コーナー寄りが一般席となっている。4階席に一般席があるのは小倉競馬場のみである。5階はゴール寄りが馬主席、4コーナー寄りが指定席と来賓席。6階は4コーナー寄りに来賓席があるほか、理事長室(特別来賓室)とレセプションルームがある[6]。スタンド内はすべて禁煙となっている。
指定席

A指定席(禁煙) 4階のゴール寄り 410席 1,500円

A指定席(禁煙) 3階のゴール寄り 492席 1,500円

B指定席(禁煙) 5階の4コーナー寄り 290席 1,000円

いずれも入場料別。当日発売及び2015年1回開催よりJRAカード等によるインターネット予約発売が実施される。座席はいずれも2人掛けで各ペア席にチャンネル切り替え可能なモニターが1台という、近年改築されたJRAの競馬場では標準的なものである。それぞれの指定席にPC利用のためのコンセントがあり、公衆無線LANが利用できる。

2009年3月までスタンド1階に地方競馬佐賀競馬専用発売窓口が設置されて中央競馬開催と重複する日に発売を行っていたが、現在は閉鎖され発売は行われていない。また、イベントも可能な「プラザ99」があり、スタンドが改築された1999年にちなんで、福岡県出身の漫画家松本零士のイラストが描かれた垂れ幕が掲げられている。

スタンド3階には無線LANが利用可能な無料休憩所がある。

メインゲート

ターフビジョン

トータボード

歴史1940年の小倉競馬場

小倉では明治中期より、陸軍用地を借りて草競馬が行われていたというが、詳細は不明。1906年(明治39年)に馬券発売が黙許され全国で競馬ブームが巻き起こり、根岸(横浜)競馬場のほか、東京では池上競馬場が開設されるなど人気を集めていた。これに刺激を受けた大宰府の田中種光他15名が社団法人東洋競馬会を設立したほか、競馬場施設会社として東洋馬匹改良会社も設立され、1907年(明治40年)に福岡県遠賀郡戸畑町字名古屋崎に競馬場を開設。これが戸畑競馬場である。

戸畑競馬場では1908年(明治41年)7月25日に、東洋競馬会によって初めての競馬が開催された[7]。第一回競馬は7月25日から29日まで4日間行い、当時の戸畑競馬場は交通が不便だったというが、それでも4日間で26510人が来場し、当時としては多くの観客を集めた。第一回競馬では一日11レースを行い、4日間で合計44レースを実施。競走馬は内国産馬と豪州(オーストラリア)産馬に分けてレースを行った。出走馬は160頭であるが、当時は競走馬が連日出走していたこともあり、延べ出走頭数は362頭となった。第一回競馬は盛況のうちに終わったが、10月に改正された刑法で馬券の発売が禁止されると、その後に行われた第二回開催、翌1909年(明治42年)の第三回、第四回開催では馬券を売れなくなったことから競馬への関心も薄れ、戸畑競馬場は閑散としていた[8]。1910年(明治43年)、日本の競馬は政府の補助金で運営される補助金競馬の時代となり、政府の方針で東洋競馬会は解散、戸畑競馬場は新たに設立された社団法人小倉競馬倶楽部が引き継いで競馬を開催する[9] 。1915年(大正4年)、第一次世界大戦の影響で日本は好景気となり、北九州地方も工業化が進んだ。小倉競馬倶楽部は製鉄会社(旧・東洋製鉄)から戸畑競馬場の用地買収を要望され、小倉競馬倶楽部は1918年(大正7年)に用地を70万円で売却、三萩野に35000坪の土地を購入し、土地購入費用と設備費を合わせて36万円あまりをかけて移転。これが三萩野競馬場である[10][7]。三萩野競馬場建設中に、小倉競馬倶楽部は一時代替として宮崎競馬場でも競馬を行った[11]

三萩野競馬場では春と秋に年2回競馬を開催したが、馬券を発売できないため開催成績は振るわず、勝馬投票券(商品券)の試みも行われた[10]。1923年(大正12年)に関係者の長年の運動が実り(旧)競馬法が成立し、馬券の発売が公認された。(旧)競馬法の制定により公認競馬として馬券を発売できるようになって競馬は発展していくが、拡大する競馬の規模に比して三萩野競馬場は手狭となっていったため、より広い土地を求め競馬場を移転することになった[12]。1929年(昭和4年)、福岡県は小倉競馬に独自の税をかけ、小倉競馬倶楽部はこれに抵抗するなど混乱するが、1931年(昭和6年)の(旧)競馬法改正で、競馬には地方税が課税されることになった。1930年(昭和5年)には暴風により、競馬場施設が甚大な被害を受けた[10]

一方、企救町北方(現在の北九州市小倉南区北方)では久留米に移転した陸軍部隊跡地への工場誘致を考えていたが、ちょうど移転を計画していた小倉競馬倶楽部と思惑が一致し、小倉競馬倶楽部は1坪3円という割安な価格で11万3千坪の土地を購入し移転。これが現在の小倉競馬場である[13]。こうして1931年(昭和6年)7月4日に小倉競馬場の開場式が行われ、日本中央競馬会ではこの日を「小倉競馬場開設記念日」と定めている[7]。新築なった小倉競馬場では6日間競馬を開催[14]。これ以降、開催規模や観客数は増えていった[15]

1936年(昭和11年)に(旧)競馬法が改正され、小倉競馬倶楽部は解散。1937年(昭和12年)に全国の競馬倶楽部を統合して設立された日本競馬会が管理する小倉競馬場となった。1944年(昭和19年)3月21日には戦局の悪化により小倉競馬場が閉鎖[7]、戦後の1947年(昭和22年)より日本競馬会による競馬開催が再開されたが、GHQの指摘により日本競馬会は解散し、国営競馬を経て1954年(昭和29年)に設立された日本中央競馬会に引き継がれ、「日本中央競馬会小倉競馬場」となり現在に至る[15][7]
中央競馬の開催

2012年以降は2月(8日間)、8月上旬から9月上旬(12日間)の2回・20日間開催[16]2005年度から夏季開催では薄暮競走を実施していたが、2011年以後、東日本大震災に伴う省エネ対策として行われていない。

これまでは検疫厩舎がなく、小倉競馬場で実施されるすべての重賞競走は国際競走に指定されていなかったが、2009年より小倉大賞典小倉記念北九州記念が、2010年より小倉2歳ステークス(いずれもGIII)がそれぞれ国際競走に指定された。

2024年は阪神競馬場のスタンドリフレッシュ工事に伴い、冬季は1月?3月の8週間(2回16日間)、夏季は7月の中京開催と8月の小倉開催を入れ替えたうえで、7月に4週間(1回8日間)開催となる予定。
重賞競走第46回小倉記念(2010年8月1日)
GIII


小倉大賞典

小倉記念(サマー2000シリーズ指定競走)

北九州記念(サマースプリントシリーズ指定競走)

小倉2歳ステークス

J・GIII


小倉サマージャンプ

※GII格の重賞は、1999年に東海ウインターステークス(現・東海ステークス)と当時GIIに格付けされていたCBC賞が行われた[17]
九州産馬限定競走

小倉競馬場は九州地方に所在することから、中央競馬の競馬場では全国で唯一、九州産馬限定競走を行っている。


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