小さいおうち
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、中島京子作の小説について説明しています。バージニア・リー・バートン作の絵本については「ちいさいおうち」をご覧ください。

小さいおうち
著者中島京子
発行日2010年5月30日
発行元文藝春秋
ジャンル恋愛小説
昭和モダン
日本
言語日本語
形態四六判上製本
ページ数320
コードISBN 978-4-16-329230-4

ウィキポータル 文学

[ ウィキデータ項目を編集 ]

テンプレートを表示

『小さいおうち』(ちいさいおうち)は、中島京子による日本小説。『別册文藝春秋』(文藝春秋)にて2008年11月号(第278号)から2010年1月号(第285号)まで連載された。第143回直木三十五賞受賞作。

女中のタキが、自身の回想録を元に、かつて奉公していた「赤い三角屋根の小さいおうち」に住んでいた平井家のことを顧みながら、ある「密やかな恋愛」について回顧する物語。1930年代から1940年代前半、つまり、昭和初期から次第に戦況が悪化していく中、東京中流家庭の生活が描かれる。

2014年、監督・山田洋次、主演・松たか子により映画化された。出演した黒木華第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞。
あらすじ

老境を迎えた布宮タキは、大学ノート回想録を記していた。

昭和5年山形から上京したタキは、女中として小中家、次いで浅野家に仕える。ほどなく浅野家の主人が事故死し、時子夫人は遺児・恭一とタキを伴って実家に戻った。昭和7年の暮れ、時子が平井と再婚すると、タキも平井家に仕えることとなった。玩具会社の役員である平井は、やがてモダンな赤い屋根の家を建て、タキにも小さな女中部屋が与えられた。タキは平井一家に、なにより時子に誠実に尽くし、女中であることを誇りに思いながら暮らしていた。やがてタキは、同性でありながら時子に憧れを抱くようになった。その生活に動乱の時代の気配はなく、ひたすら穏やかな日々が続いていた。

昭和11年正月、玩具会社の若手デザイナー板倉正治が年始の挨拶に訪れる。いくつかの出来事を経て、板倉と時子は心を通わせていく。タキは今までの奉公先との違いから、平井と時子の間には夫婦関係はなかったと推測していた。板倉には、会社の活動を有利にするための縁談が薦められ、時子がそれを取りまとめることとなった。頑なに縁談を拒む板倉に対し、時子は彼の下宿をたびたび訪問して説得にあたる。しかしタキは、訪問のために外出した際、時子のが一旦解かれた後に結び直されていることに気付いてしまい、不倫関係を察する。

昭和16年12月、ついに日米開戦。しかしやがて戦局は悪化し、昭和19年には徴兵検査で丙種だった板倉にも召集令状が届く。板倉のもとに行こうとする時子をタキはなだめ、代わりに板倉を平井邸に呼ぶよう手紙を書かせ、それを預かった。タキは回想録に、板倉が訪問している間、屋外で作業をしていたと記した。

その後、タキは女中を辞して帰郷する。平井夫妻は、空襲で死亡し、恭一の行方は分からなかった。回想録はタキの死去により、絶筆となる。

回想録と未開封の手紙を遺されたタキの大甥・健史は、回想録に登場する人物の消息を追う。板倉は、復員した後、カルト漫画家となるが、時子を思い続け生涯独身を貫いた。板倉の作品の一つに赤い屋根の家をモチーフとしたものがあり、そこには二人の女性が描かれていた。恭一は疎開先の北陸地方でそのまま親族に引き取られて生活を送っていた。健史は恭一の許可を得て手紙を開封するが、それは出征直前の板倉に時子が宛てた手紙だった。

板倉に渡されていなかった「不倫の証拠」を前に、健史はタキの回想録にその日のことが何と記されていたか思い起こす。タキが手紙を渡していなかったことから、その日の記録は虚偽であり、時子に恋をしていたのかと悟る。
登場人物
布宮 タキ(ぬのみや タキ)
元女中。女中として培った
家事の知恵などをまとめた書籍を出版し、好評を得る。編集者に2作目の執筆を勧められ、自身の回想録を出版できないかと持ちかけ、次第に過去の記憶がよみがえっていく。尋常小学校卒業後の昭和5年、親類の伝手で山形から東京へ上京し、小中家の女中となる。約1年後、14歳で、小中氏の妻の紹介で彼女の親友である時子の家に奉公に上がり、優美な時子に強い思慕と仕えることに喜びを覚え、平井家に骨を埋めるつもりで奉公に励む。戦争による食糧規制を物ともせず、有能な女中として平井家の食卓を彩る。時子と板倉の不倫関係に感づいてしまい、召集された板倉との最後の逢瀬を手引きしたと回想録に記すが、時子からの板倉宛の手紙を預かったまま渡すことはしなかった。戦況が厳しくなったことに伴い、田舎へ帰郷する。時子を思いつづけたのか生涯独身であった。
平井 時子(ひらい ときこ)
タキが奉公に入った当時、まだ22歳で、14歳だったタキを妹のように可愛がり、訛りの抜けないタキに標準語を教えたり、着物のお下がりを惜しげもなくあげたりした。夫が事故死し、恭一とタキを伴って実家に戻った後、昭和7年の暮れに平井家に嫁いだ。結婚から3年後に、赤い三角屋根の文化住宅が建った。自宅に出入りしていた板倉に淡い恋心を抱き、密かに関係を持つ。おっとりと優雅で、同性から見ても非常に魅力的な女性。
平井 恭一(ひらい きょういち)
時子と前の夫との息子。小学校にあがる前に小児麻痺にかかり、両足が動かなくなり、入学を1年遅らせて治療に専念する。毎日寝る前にタキが医者から習った按摩をしてもらう。成長に従い、足の障害はほとんどなくなる。
平井(ひらい)
時子の2番目の夫。時子より10歳年上。時子と結婚した年に、長年勤めたデパートを辞め、引き抜かれるようにして玩具会社に営業部長職で入った。後に常務へ昇進する。戦争により金属玩具の販売が規制され、新設したばかりの大工場の閉鎖や従業員の削減を余儀なくされ大打撃を受けるが、不撓不屈の精神で社長と共に乗り切り、紙製や木製の乗り物玩具で息を吹き返した。時子と連れ子の恭一との関係は円満であったが、夫妻の間に肉体関係はなかったとタキは推測している。
小中(こなか)
タキが最初に女中として奉公した小説家。タキを「ある種の頭の良さがある」と評し、タキが忘れられない奉公先の一つ。
浅野(あさの)
時子の前夫。不景気の煽りを受け、会社をクビになり、親戚が経営する工場で事務のような日払いの仕事をしていたが、給料を酒に費やし、家にもなかなか帰らなかった。タキが奉公に上がった年に、工場の外階段で足を滑らせて死亡した。
健史(たけし)
タキの大甥(妹の孫、甥の次男)。力仕事などタキにはできない生活のサポートをする。タキのノートを盗み読み、戦中とは思えない平井家の明るい様子が、教科書で習った戦時の情勢と余りにも違うため、タキのノートは嘘ばかりだと断じる。
板倉 正治(いたくら しょうじ)
玩具会社のデザイン部の社員。美大生だった頃、平井家の近所に下宿があり、赤い三角屋根の家を写生していたことがある。時子より6歳年下。視力が悪く、気管支も弱かったため、徴兵検査では丙種合格で徴用はないと思われていたが、戦況の悪化に伴い召集された。復員後、時子を思いつづけ生涯独身を貫いた。
松岡 睦子(まつおか むつこ)
時子の女学校時代の同級生。雑誌『主婦之華』の編集者で、流行に敏感な女性。タキに吉屋信子[1]の文章を紹介して励ます。
評価

一貫して中流家庭に仕えた女中の視点の戦中生活が描かれ、戦争を扱った小説や映画やドラマで刷り込まれた、戦時中の軍靴の音が響くようなイメージとは異なり、「戦争が始まって(中略)世の中がぱっと明るくなった」「食べ物は貧相になっていたけれども、(中略)やなにかが、どんどん上がっていって、それで大儲けした人なども出て、街が少し賑やかになり」などといった、教科書で習うのとは正反対の記述が多々あり、これまでの戦争文学が太ゴシック体なら、本作は柔らかで親しみやすい細明朝体の歴史が生き生きと綴られている、と書評家の豊崎由美は評す[2]。当時のタキにとっては「〈戦争〉といったら、イタリーとかエチオピア(第二次エチオピア戦争)とか、スペイン内戦のこと」であり、誰もが東京でオリンピックが開かれると信じていた昭和10年、タキの回想録を読む健史の口を借りて、(「あのころのウキウキした気分を思い出すと楽しくなる」という記述に対して)「十五年戦争中である昭和十年がそんなにウキウキしているわけがない」「おばあちゃんは間違っている」と非難したり、(「南京陥落の戦勝セールが楽しかった」という記述に対して)「南京じゃあ、大虐殺が起こってたのに」と、いかにも後世の若者が言いそうな感想を言わせることで歴史観の違いを際立たせるのに成功している[2]二・二六事件についても、岡田首相が女中の機転によって助かったというエピソードの方が誇らしげに語られる[3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef