尋陽郡
[Wikipedia|▼Menu]

尋陽郡(じんよう-ぐん)は、中国にかつて存在した西晋から唐代にかけて、現在の江西省九江市一帯に設置された。
概要

304年永興元年)、西晋により廬江郡尋陽県武昌郡柴桑県が分離され、尋陽郡が立てられた。尋陽郡は江州に属し、郡治は尋陽県に置かれた。307年永嘉元年)、豫章郡彭沢県が尋陽郡に転属した。東晋元帝のとき、尋陽郡に九江県上甲県が置かれた。東晋の末年、尋陽に僑置されていた松滋郡が松滋県となり、同じく弘農郡が弘農県となり、いずれも尋陽郡に属した[1]。後に尋陽県が廃止され、郡治は柴桑県に移された。

441年南朝宋元嘉18年)、弘農県が松滋県に併合された。宋の尋陽郡は柴桑・彭沢・松滋の3県を管轄した[2]

南朝斉のとき、尋陽郡は柴桑・彭沢の2県を管轄した[3]

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、尋陽郡は廃止されて、江州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、江州が九江郡と改称された[4]

621年武徳4年)、唐が林士弘を平定すると、九江郡は江州と改められた。742年天宝元年)、江州は潯陽郡と改称された。758年乾元元年)、潯陽郡は江州と改称された[5]
脚注^晋書』地理志下
^宋書』州郡志二
^南斉書』州郡志上
^隋書』地理志下
^旧唐書』地理志三










晋朝の行政区分
西晋

司州

河南郡

?陽郡

弘農郡

上洛郡

平陽郡

河東郡

汲郡

河内郡

広平郡

陽平郡

魏郡

頓丘郡

豫州

潁川郡

汝南郡

襄城郡

汝陰郡

?郡

魯郡

弋陽郡

安豊郡

梁国

沛国

?州

済陰郡

泰山郡

陳留国

濮陽国

高平国

任城国

東平国

済北国

青州

済南郡

城陽郡

長広郡

斉国

楽安国

東?国

徐州

東海郡

東莞郡

広陵郡

臨淮郡

彭城国

下?国

琅邪国

冀州

勃海郡

博陵郡

常山郡

趙国

鉅鹿国

安平国

平原国

楽陵国

章武国

河間国

高陽国

清河国

中山国

幽州


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef