尊證法親王
続柄後水尾天皇第十七皇子
全名周賢
称号玲瓏宮
身位二品・親王
出生慶安4年2月10日(1651年3月31日)
死去元禄7年10月15日(1694年12月1日)(享年44)
父親後水尾天皇
母親園国子
役職青蓮院門跡
天台座主
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尊証法親王(尊證法親王・そんしょうほっしんのう、慶安4年2月10日(1651年3月31日) - 元禄7年10月15日(1694年12月1日))は、江戸時代前期の法親王。後水尾天皇の第十七皇子で、母は園国子(新広義門院)。幼名は玲瓏宮(ゆらのみや)、諱は周賢。正式な出家が親王宣下後であるため、入道親王とする表記もある[1]。 承応2年(1653年)に青蓮院門跡相続、明暦2年(1656年)に青蓮院に入室、万治3年(1660年)5月に親王宣下を受けて周賢と名乗り、7月に良尚法親王を師として出家して尊證と称する。寛文9年(1669年)に天台座主に補任され、同13年(1673年・延宝元年)に二品親王に叙されて天台座主に再任、元禄6年(1693年)にも3度目の補任をされるが辞退している。書道の達人で後世に「尊證流(尊証流」)と称される流派を創始した[2]。 元禄7年(1694年)に44歳で薨去。実兄の尭恕法親王の撰で諡号を後桂蓮院とされた。
経歴
脚注^ 「尊証入道親王」『日本人名大辞典』
^ 「尊証親王」『国書人名辞典 3』
参考文献
上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
是澤恭三「尊證法親王」『日本人名大事典』第3巻、平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』(1937年刊)の改題複製)。
市古貞次『国書人名辞典 3』岩波書店、1996年。
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