尊属殺重罰規定違憲判決
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この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。免責事項もお読みください。

最高裁判所判例
事件名尊属殺人事件
事件番号昭和45(あ)1310
1973年(昭和48年)4月4日
判例集刑集27巻3号265頁
裁判要旨
尊属殺人を定めた刑法200条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法14条1項に違反して無効である。
大法廷
裁判長石田和外
陪席裁判官田中二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝
意見
多数意見石田和外 岩田誠 村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 岸盛一 天野武一
意見田中二郎 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 小川信雄 坂本吉勝
反対意見下田武三
参照法条
日本国憲法第14条1項 刑法第199条 刑法第200条
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尊属殺重罰規定違憲判決[1]

尊属殺違憲判決[2]

尊属殺重罰規定判決[3]

尊属殺重罰規定違憲判決(そんぞくさつじゅうばつきていいけんはんけつ)とは、1973年(昭和48年)4月4日に日本の最高裁判所刑法第200条(尊属殺)の重罰規定を憲法第14条法の下の平等)に反し無効とした判決である。最高裁判所が法律を「違憲」と判断した最初の判例(法令違憲判決)である。

この裁判の対象となった事件は、1968年に栃木県矢板市で当時29歳の女性が、自身に対する長年の性的虐待に耐えかねて当時53歳の実父を殺害した事件で、「栃木実父殺し事件[4]」「栃木実父殺害事件」などと呼ばれる。本事件では被告人に酌量するべき事情があったが、尊属殺人と捉えた場合は執行猶予を付すことができなかった。そこで最高裁判所は、尊属殺人罪の規定自体は合憲としつつ、執行猶予が付けられないほどの重罰規定は違憲であると判断した。「尊属殺#尊属加重規定の削除」も参照
事件の概要

被告人の女性A(当時29歳)は、14歳の時から実父B(当時53歳)によって性的虐待を継続的に受けていた[5][6]近親相姦を強要されて父娘の間で5人の子供を出産し、夫婦同然の生活を強いられていた。逃げ出せば暴力によって連れ戻され、やがて逃げることも諦めるようになった。また、自分が逃げることで同居していた妹が同じ目に遭う恐れがあったため、逃亡がためらわれた。

そうした中、女性Aにも職場で相思相愛の相手が現れ、正常な結婚をする機会が巡ってきた。その男性と結婚したい旨を実父Bに打ち明けたところ、実父Bは激怒し、女性Aを自宅に監禁した。その間にも実父Bは女性Aに性交を強要した上、罵倒するなどした。

監禁10日目の1968年10月5日、実父Bはもし家を出るなら女性Aや子供らを殺害すると叫びながら女性Aに襲いかかった。女性Aは、これまでの苦悩・実父との関係を断ち切り、この窮地を脱して世間並みの結婚をする自由を得るためには、もはや実父Bを殺害するほか術はないと考えた。そしてとっさに枕元にあった腰紐を取り、実父Bを絞殺するにいたった。
尊属殺における宣告刑

尊属殺人罪(刑法第200条[注 1])は、父母・祖父母などの直系尊属を殺害した場合における、普通殺人罪の加重罪であった。その法定刑は「死刑または無期懲役」しかなく、普通殺人罪(刑法第199条[注 2])が定める法定刑に比べて極めて重たかった[7]

なお、尊属殺人罪の違憲審査は本件が初めてではない。1950年10月11日の最高裁大法廷において、熾烈な議論の末、尊属殺加重刑罰は「人倫の大本、人類普遍の原理」であるとして14対1で合憲と判決が下されている[8]。また、同年10月25日の最高裁判決で、改めて尊属殺加重刑罰が合憲と下された[9][10]。その後も年平均34件の尊属殺加重刑罰規定を合憲とする判断が積み上がっていた[6]
執行猶予の不可

裁判所は、刑法典に規定された法定刑の範囲の刑を元にして、2回の加重減軽を加えたのち、宣告刑を言い渡す。尊属殺人罪の場合は、最大で次の通りに減軽される
まず、法定刑のうち最も軽い無期懲役を基礎として、被告人の心神耗弱による減軽(法律上の必要的減軽、刑法第39条第2項[注 3])を加える。すると、刑法第68条[注 4]により、無期懲役は懲役7年となる。

ついで、情状酌量による減軽(酌量減軽、刑法第66条[注 5])を加えると、懲役7年は懲役3年6月となる。

以上より、最大限に減軽しても懲役3年6月が宣告刑の下限となる。執行猶予を付すには、宣告刑が懲役3年以下でなければならない(刑法第25条[注 6])から、このままでは、本件被告人には執行猶予を付せないことになる[7]
裁判
弁護の受任

本件被告人の弁護人は、宇都宮市内で事務所を構える大貫大八が務めた[6]。ただし大貫大八は高裁判決後にガンで倒れたため、最高裁からは息子の大貫正一が引き継いだ[5]


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