将棋会館
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将棋会館(しょうぎかいかん)は、日本将棋連盟の本部のある建物。

同じく連盟が所有する北海道将棋会館(ほっかいどうしょうぎかいかん)や、公式対局の行われる名古屋将棋対局場(なごやしょうぎたいきょくじょう)についても本記事で紹介する。関西将棋会館については、当該記事を参照。
将棋会館

将棋会館
将棋会館
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情報
用途将棋関連
管理運営日本将棋連盟
階数地上5階、地下1階
竣工1976年4月
所在地151-8516
東京都渋谷区千駄ヶ谷2-39-9
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分38秒 東経139度42分34秒 / 北緯35.67722度 東経139.70944度 / 35.67722; 139.70944 (将棋会館)座標: 北緯35度40分38秒 東経139度42分34秒 / 北緯35.67722度 東経139.70944度 / 35.67722; 139.70944 (将棋会館)
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東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目にあり(至近に鳩森八幡神社がある)、千駄ケ谷駅国立競技場駅より徒歩6分、北参道駅より徒歩8分。1976年建設。それまでの将棋会館は1961年6月に建築された木造二階建ての建物であった(加藤治郎著「昭和のコマおと」184頁)。当初は8階建てにする予定だったが、建築規制のため5階建てとなった。

棋士および女流棋士公式戦の多くとタイトル戦の一部は将棋会館の対局室で指される。奨励会の対局も行われる。また、2009年3月まで存在した女流育成会の対局も行われた。

対局室は和室で、座布団に座る形で対局を行う。対局室には、特別対局室、高雄の間、棋峰の間、雲鶴の間、飛燕の間、銀沙の間、桂の間、香雲の間、歩月の間がある。2014年時点で桂の間は事実上の関係者控室として使われていたが[1]、対局数の増加に伴い2020年11月より桂の間も対局室として再び使われることになった[2]。また歩月の間は長らく対局中継用のスタジオとして使用されていたが、2020年にドワンゴニコニコ生放送)が中継から撤退したため、以後は再び対局室として使用されている[3]。なお将棋会館でタイトル戦の番勝負が行われる場合は、飛燕の間と銀沙の間が対局者控室となることが慣例[4]

また、椅子で対局する洋室の「研修室」もあり、一般の人が参加できる将棋道場など将棋教室も開かれている。以前は空き部屋があれば自由に棋士の研究会や練習将棋などで使用することができたが、2013年8月より禁止された[1]。かつては上京した棋士のための「宿泊室」も存在したが、2021年時点では中継等の作業用の準備室となっており宿泊はできなくなっている[4]

建設にあたり、吉永小百合が多額の寄付をした。剱持松二の人脈から三菱電機も多額の寄付をしており、会館の「高雄の間」の名称は、当時同社が販売していたテレビのブランドである「高雄」に由来するという説がある[5]。また米長邦雄大山康晴の寄付集めに対する熱意と日本財団による助成金の貢献が大きかったと評価した[6]。このほか「将棋界の大旦那」として知られる七條兼三(詰将棋作家、秋葉原ラジオ会館創業者)も、建設中の代替施設の連帯保証人を務めるなど大きな尽力をしている[7]

「東京将棋会館」と書かれることが多いが、誤りである。観戦記者の田辺忠幸は、将棋世界の連載エッセイで「東京将棋会館という建物はない」と指摘し、「東京・将棋会館」と書くことを推奨した。

開設当初は地下にレストラン「歩(あゆみ)」が存在したが、会館の場所が文教地区指定を受けているため一般向けの営業ができず、関係者用の食堂としての営業を強いられたことなどが原因で1997年に閉店。以後は『将棋世界』等の編集を行う出版部の事務室となったが、2009年に日本将棋連盟が出版業務を毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)に移管したため撤退し、2011年にスタジオに改装された[8]

開館から40年が経過し耐震性の問題が表面化するなど老朽化が目立ち始めたことから、2015年7月から9月、2016年3月から5月の2期に分けて全館休館し耐震工事を実施した[9][10]

2023年1月、現将棋会館をヒューリックに売却することを同月25日に開かれた日本将棋連盟の臨時総会で決定した。新将棋会館はヒューリックが所有し、建て替えが予定されている千駄ヶ谷センタービルの1階に移転するとしており、同連盟の創立100周年となる2024年に実施を予定している[11]
フロア

※2023年1月現在。

05階対局室(香雲の間、歩月の間)・中継室等(501-505)
04階対局室(特別対局室、高雄の間、棋峰の間、雲鶴の間、飛燕の間、銀沙の間、桂の間)
03階事務室
02階道場・教室
01階販売部
B1階
囲碁・将棋チャンネル用スタジオ・会議室

4階の対局室入口正面には当日の対局部屋割りを示すホワイトボードがある[12]関西将棋会館にも同様の対局ボードがあるが、東京の将棋会館では名札の高さの位置で対局勝敗が示される[14][16]
特別対局室

「特別対局室」での対局が行なわれるのは次の場合である[17]

タイトル戦

タイトル保持者の対局

複数の対局実施日に以下の基準で部屋割りされた対局

高段位者の対局

棋士番号順に番号が小さい棋士の対局

対局以外でも、銀河戦優勝者への表彰式なども「特別対局室」で実施されることがある。
関西将棋会館

大阪府大阪市福島区にあり、JR福島駅から徒歩3分。1981年に建設。詳細は「関西将棋会館」を参照
名古屋将棋対局場

ミッドランドスクエア
MIDLAND SQUARE


情報
所在地名古屋市中村区名駅四丁目7番1号
(対局場は25階に開設)
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名古屋市中村区ミッドランドスクエア25階(トヨタ自動車名古屋オフィス内)に所在する[18]2022年3月16日に設置が発表され[19]同年6月22日より使用開始となった[20]

これまで会議や展示会に使用されていた、トヨタ自動車のオフィスフロア内の広さ209.2平方メートルの会議室の一室[21]が新たな対局場開設に充てられた。この部屋の半分ほどに高さ30センチメートルの土台を配置し[22]、その上に84.5畳分(85枚)の畳を敷きつめて[23][24]、対局7局を同時に実施することができる常設対局場を設えた。壁面には高さ2.1メートルの銀屏風5枚を配置し、隣り合う対局の仕切りには木屏風が置かれる[25]。会議室の使用料や光熱費は無償提供の扱いで、畳と屏風などはトヨタ自動車から備品として提供される。対局場の天井には盤面中継用の最新のカメラを設置できる仕様になっている。2022年度の棋戦で名古屋将棋対局場を使うのは順位戦のみを予定し、このうち東海地方を拠点とする棋士の対局と、東西交流対局の一部、合わせて100局の実施を予定している[26]

第81期順位戦A級の全45局中、名古屋対局は8局 (このうち愛知県在住の藤井聡太竜王の対局は6局)[26]

同B級1組の全78局中、名古屋対局は11局 (このうち三重県在住の澤田真吾七段の対局は10局)[26]

同B級2組の全130局中、名古屋対局は20局 (このうち名古屋市在住の杉本昌隆八段の対局は8局)[26]

同C級1組の全165局中、名古屋対局は22局 (東海在住棋士の該当者なし)[26]

同C級2組の全280局中、名古屋対局は39局
(上のうち三重県在住の石川優太四段、岐阜県在住の高田明浩四段の対局は各7局。直接対決はなし)[26]

名古屋将棋対局場の開設にあたり、日本将棋連盟からトヨタ自動車に相談があり、「将棋文化の普及と中部・東海エリアの地域活性化に貢献できる」と考えたトヨタ自動車が、無償で場所を提供することにした[21]という経緯がある。

元々、愛知県在住(2022年現在)の藤井の活躍を受け、愛知県知事大村秀章名古屋市長河村たかしなど、名古屋の政財界の一部において「名古屋に将棋会館を」という話が持ち上がっていた[27][28][29]。ただ、当時の東海地区には「東海普及連合会」としてマンションの一室に事務所を構えている程度の施設しか無かったこともあり[29]、2018年時点で連盟では具体的な検討は行っていないとしていた[30]が、最終的に公式戦を実施可能な対局場の設置に至った。

対局室がトヨタ社内にあるため、出入りする棋士には顔写真入りのIDカード(入館証)が発行される。名古屋対局の当日に待機する日本将棋連盟職員がIDカードを、来場する各棋士にその場で渡す方式を採用し[26]、IDカード不携帯による不戦を未然に防ぐ対策をとる。

対局時に電子機器類を預ける専用ロッカーも将棋会館、関西将棋会館と同様に設置されている[31]。対局場の隣には関係者・報道陣等のための控室が併設されている[32]。座布団は4種類が用意されている[33]

昼食・夕食の食事休憩は、同じ部屋の窓側にパーティションで区切られた休憩スペースや前述の控室が用意されている。食事内容については、東京・大阪の将棋会館では出前を注文するのに対し、新たに設置の名古屋対局場では出前の体制が整わないため、開設から当面の間は、将棋連盟が用意する複数種類の弁当を各棋士が選択する方式によっていた[34]。2023年2月1日以降の対局では、これまでの複数種類の弁当のほかに、対局場があるミッドランドスクエア内の5店舗からの出前対応が可能となった[35]

2023年10月12日から対局場に掲げられる「表札」が新たに、名古屋城に金のシャチホコがついたデザインのものになった[36]。新たな表札のプレートはトヨタ自動車が提供したもの[36]で、表札に書かれた「名古屋将棋対局場」の文字は佐藤康光九段の書[36]である。同日に行なわれた順位戦対局が新たな表札のお披露目の場となった[36]
北海道将棋会館

ダイメックス札幌南2条ビル


情報
所在地064-0062
札幌市中央区南2条西10丁目
座標北緯43度03分23.1秒 東経141度20分36.1秒 / 北緯43.056417度 東経141.343361度 / 43.056417; 141.343361 (ダイメックス札幌南2条ビル)
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北海道将棋会館は、北海道旭川市に本社を置く不動産会社ダイメックスが所有する札幌市中央区のオフィスビルに入居している。

かつてのような将棋専用の建物ではなくなったが、「将棋会館」という名称は引き続き用いられている。
旧施設

現在の将棋会館の建設以前に使われていた施設について述べる。また、一連の経緯から最終的に日本将棋連盟の所有となった北海道将棋会館についてもここで述べる。関西将棋会館の旧施設については「関西将棋会館#旧施設」を参照
東京

東京では、戦前の「将棋大成会」時代には青山・赤坂・麹町などを転々としていた[37]。戦後間もない頃は後楽園球場の中に事務所があったが当時は対局場は無く、対局時は都内の寺などを借りていた[37]。その後1949年中野区(大相撲横綱の照國が開いていた「照國道場」の跡地[38][39]、当時の住所で中野区昭和通二丁目39[40]、現在の住所で中野区中野六丁目30あたり)に移転した[41]


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