封神演義
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「封神演義」のその他の用法については「封神演義 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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封神演義

各種表記
繁体字:封神演義
簡体字:封神演?
?音:F?ngshen Y?nyi
ラテン字:Fengshen Yanyi
発音:フォンシェン イェンイー
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ポータル 文学

『封神演義』(ほうしんえんぎ)は、中国代に成立した神怪小説。『商周演義』、『封神伝』、『封神榜』[1]、『封神榜演義』ともいう。史実の殷周易姓革命を舞台に、仙人道士妖怪が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である。文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる[2]。著者(編者)は一般に許仲琳とされることが多いが、定説はない。同様に歴史を題材にした『三国志演義』『隋唐演義』に比べても、残されている史実が少ないこともありフィクション部分が圧倒的に多く、幻想性も強い。
あらすじ「封神演義の各回概要」も参照

はるか昔、世界は仙界と人界に分かれ、仙界はさらに、人間出身の仙人道士達からなる崑崙山の仙道「闡教(せんきょう)」と、それ以外の動物・植物・森羅万象に由来する「截教(せっきょう)」に二分されていた。

人界は時に(商)の紂王の治世。紂王は名君とされていたが、慢心から女?廟の祭祀において「女?は人間界のどの人間より美しい、この女?が私のものであったらいいのに」という意味の詩を詠んだ。この「神」と「人」を混同した無礼な行為に女?は怒り、千年生きた狐狸の精に紂王を陥れるよう命じた。狐狸精は、朝歌の後宮に入ることになっていた美女、冀州侯の娘妲己の魂魄を滅ぼして身体を手に入れ、紂王を籠絡しはじめた。これ以降紂王は、妲己に操られるまま次第に暴政を行うようになっていった。

一方仙界では、闡教の教主・元始天尊門下の崑崙十二大仙が、千五百年に一度の逃れられぬ劫として、人を殺さねばならないことになっていた。また昊天上帝(天帝)が彼ら十二人を臣下に命じたことから、殷周革命に関わる闡教徒、截教徒、人道の中から「仙ならざる仙」、「人ならざる人」達を三百六十五位の「神」として「封(ほう)」じる「封神」の儀式を行うことになった。

天命により、この封神の執行者として選ばれたのが、崑崙の道士の一人であった姜子牙、後に周国の丞相となる太公望である。

かくして殷代末期の殷周革命の動乱を舞台に、四不相(四不像)に乗った姜子牙(太公望)がまきおこす殷周両国の間の戦乱、ひいては闡教と截教の対立が描かれながら、数多くの仙人、道士の霊魂が封神榜の掲げられた「封神台」へ飛んでいくこととなる。
登場人物「封神演義の登場人物一覧」を参照
作者

作者は諸説あり定説はない。現存する最古の版本である『鍾伯敬先生批評封神演義第二十巻』には、許仲琳編と記されている。また、冒頭部分を許仲琳が書き、序文を記している李雲翔がその後手を加えたという「許仲琳・李雲翔合作説」もある。その他、道教方面において著作の多い陸西星の作とする説もあるが、これは成立年代の問題などから疑問視されている[3]

なお、『金瓶梅』の作者である王世貞が朝廷より『金瓶梅』の中身を見せるよう命じられたため、慌てて一夜で『封神演義』を書き上げて差し替えたという説があるが、現在は俗説として否定されている[4]
版本

現存する最古の版本は、日本の内閣文庫所蔵、明代の李雲翔序を載せる『鍾伯敬先生批評封神演義第二十巻』(舒載陽・舒冲甫刊本)(以下舒本と略す)と考えられている[5]

明末清初の?人穫が校訂を加えたテキスト、いわゆる四雪草堂本(「四雪草堂」は?人穫の室名)は清代以降広く普及した[5]。「四雪草堂本」は康熙三十四年?人穫序本およびその序(以下?序と略す)を載せる後継版本と考えられる[6]

一部の四雪草堂本系の文繁本と八巻本系文簡本五種には周之標序(以下周序と略す)を載せる。文簡本は周序のみであり、文繁本は?序の後に周序を掲載し、「封神演義原序」と題する[5]

『封神演義』は他の明清小説に比して版本間でのテキストの大きな異同や系統分岐は見られない。区分のポイントとしては簡略本(簡本と呼ばれる)の存在と排印本での第九十九回の封神榜の改編が挙げられる[6]。舒本を含む木版本では第九十九回の封神榜には作中で死んだと明言されているのにもかかわらず、リストに名前がない人物が少なからず存在する。のちに神々のリストは清末の鉛印本(中華人民共和国の北京大学図書館が所蔵する光緒十五年上海広百宋斎鉛印『?像封神演義』[7])に至って改変され、漏れていた人物は万仙陣亡者を削っておおむねリストに補填された[8]

一九五五年に作家出版社本が出版され、以降標点本として広く流布した。作家出版社本は「四雪草堂本」を底本としたことから、木版本である四雪草堂本が封神榜を改変したとする誤解の原因となった。校勘に使用した版に広百宋斎本も挙げていることから、改変はこれにもとづくとみるべきである[9]

また、これとは別に清代の「蒙古車王府曲本」と呼ばれる口語体の二百二十回本が残っている。こちらは口談として民間で流布していた説話をベースとしており、前述の版とは内容が異なっている[10]

『封神演義』を題材とした戯曲も存在し、戯曲『封神榜』と清朝宮廷大戯『封神天榜』が存在する[11]
前史

『封神演義』の直接の前身となった作品は、至治年間(1321年 - 1323年)以前に成立したとされる歴史小説『武王伐紂平話』とされる。また『封神演義』の作者は明代の余邵魚の小説『春秋列国志伝』第一巻も同時に参照していたと言われている。『封神演義』の物語の骨組みはこの二作品とほとんど同じだが、『武王伐紂平話』と『春秋列国志伝』があくまで歴史小説であるのに対し、『封神演義』は神怪的要素が大量に挿入された神怪小説である点で、前者二作品とは大きく異なっている[12]

本作に登場する神怪的なモチーフの多くはそれぞれ元となる説話がある。たとえば、『封神演義』の物語の軸である「太公望(姜子牙)が封神を行った」という故事は、古くは『史記』封禅書の記述の中に原形が見られ、「天命により、周の武王の紂王討伐に応じて神が戦った」という説話は明代の神学書『三教源流捜神大全(捜神大全)』に見られる。登場する神仙に関しても、その多くが『捜神大全』や『神仙通鑑』など当時信仰されていた神仙を扱った書物に名前が見える。『封神演義』の著者はこれらの書物を参照し、そこに見られる神仙を名前だけ借用したり、もともとの説話を改変したりして物語に挿入していったと考えられている[13]

このため、古くから信仰された神仙(女?殷郊太上老君広成子赤精子など)と比較的新しい神仙(楊?聞仲など)がごちゃまぜになっていたり、さらには仏教系の神仏(燃灯道人文殊広法天尊韋護??など。殷周時代にはまだ仏教は成立していない)や後世の人物(代に武将として活躍し、のちに軍神として毘沙門天と同一視された李靖など)が登場していたりと、過度な時代錯誤がみられる[14]
評価

四大奇書として古くより『西遊記』、『三国志演義』、『水滸伝』、『金瓶梅』が挙げられるが、本書の評価はこれらより一段低いものとなっている。魯迅は「『水滸伝』に比べたら幻想的に過ぎ、『西遊記』に比べたら雄偉さに欠け、今に至るまでこの二作品と同列であると見なした者はいない」と評している[15]。また、斉祐焜は「『封神演義』は思想面でも芸術面でも、作者が意図した『小説界に於いて水滸伝と西遊記と共に鼎立する』という抱負を果たすことは到底できなかった」と評している。一方で「だがそれでも『封神演義』は中国小説史で一定の重要な地位を占める」とも記している[16]

文学面での評価が低い理由として、中国文学研究者の二階堂善弘は、文体のぎこちなさ(堅苦しい文言体を必要以上に多用する)、ストーリーの欠陥(太公望が天数(天命)と称して自分の行為を過度に正当化する、典型的な悪臣として描かれている費仲や尤渾まで他の登場人物と一緒に封神される)、時代考証の無視(殷周時代に存在しない神仙・人物が登場する)などを挙げている[17]


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