対話篇
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対話篇(たいわへん[1]、英: dialogue, ダイアローグ)とは、複数の登場人物の間での対話形式を採った文学ないし学術作品である。独白(モノローグ)と対になる概念である[2]。
古より対話形式で著作を著した作家、叙述家、学者は多く、中でも西洋においては、哲学者のプラトンは膨大な著作のほとんどを対話篇で著したことで有名であり、東洋においても古代中国の諸子百家の書や仏教経典などにも対話篇を採用したものがある。
対話篇の利点は話し言葉で書かれることが多いことによる記述の平明さ、そして著者の思考の筋道を読者が追うことができる点などがある。しかし、欠点もあり、例えば、複数の登場人物が出てくることからいったいどの登場人物の主張が著者自身の主張であるかがぼやけかねないという点がある。現にデイヴィッド・ヒュームの『自然宗教に関する対話』の登場人物のうちクレアンテスかフィロンのどちらがヒューム自身の見解であるかについては現代でも論争の種である。
有名な対話篇
プラトンの著作のほとんど
クセノポン、『ソクラテスの思い出』
キケロの哲学書のほとんど
ルキアノス、『神々の対話(英語版)』『死者の対話』
セネカ、『摂理について』『賢者の恒心について』『怒りについて』他全12巻
ヴィヤーサ、『バガヴァッド・ギーター』
ボエティウス、『哲学の慰め』
ロバート・ボイル、『懐疑的化学者』
ガリレオ・ガリレイ、『天文対話』[3](正式名は『プトレマイオスとコペルニクスとの二大世界体系についての対話』)(1632)
トマソ・カンパネッラ、『太陽の都』
デジデリウス・エラスムス、『対話集』
ジョルダーノ・ブルーノ、『原因・原理・一者について』『天馬のカバラ』
バルダッサーレ・カスティリオーネ、『宮廷人』
ゴットフリート・ライプニッツ、『人間知性新論』
ダグラス・ホフスタッター、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』
ジョージ・バークリ、『ハイラスとフィロナスの三つの対話』
デイヴィッド・ヒューム、『自然宗教に関する対話』
ニッコロ・マキャベリ、『戦術論』
バーナード・デ・マンデヴィル、『蜂の寓話』
ドゥニ・ディドロ、『ダランベールの夢』
ジャン=ジャック・ルソー、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル、『生命の劇場』
シャルル・ペギー、『クリオ:歴史と異教的魂の対話』
カール・クラウス、『楽天家と不平家の対話』
ポール・ファイヤアーベント、『知についての三つの対話』
ラカトシュ・イムレ、『数学的発見の論理―証明と論駁』
フリードリヒ・ニーチェ、『ツァラトゥストラはかく語りき』
トマス・ホッブズ、『ビヒモス』
サン=シモン、『産業階級の教理問答』
トマス・フログノール・ディブディン(英語版)、『ビブリオマニア』
ウラジーミル・ソロヴィヨフ、『三つの会話』
ポール・ラファルグ、『資本教』
ポール・ヴァレリー、『エウパリノス』
モーリス・ジョリー、『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話』
ドゥニ・カンブシュネル(フランス語版)、『デカルトはそんなこと言っていない』
ウエルベック/Gilles Touyard、『オペラ・ビアンカ』
マイケル・フレイン、『コペンハーゲン』
サルトル、『出口なし』
ペーター・ヴァイス、『マラー/サド』『ベトナム討論』
トム・ストッパード、『コースト・オブ・ユートピア』『ロックンロール』
ゴダール、『ありきたりの映画』『たのしい知識』
ルーシュ/モラン、『ある夏の記録』
脚注^ 短篇を短編と表記するように、「対話編」と表記されることがある。「編」は「篇」の代用字。出典:デジタル大辞泉(小学館)
^ モノローグとは - コトバンク
^ 天文対話とは
関連項目
問答法
対話体小説
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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