対潜哨戒機(たいせんしょうかいき、英語: Maritime patrol aircraft, MPA[注 1])は、対潜戦を重視して設計・装備された航空機。日米の軍用機の命名規則では哨戒を意味する英単語(patrol)の頭文字からPが使われるが、イギリスではMR、NATOコードでは独立した分類を持たず雑多な機種としてMが使われる。 任務の性格上、哨戒機は戦闘機のような運動性能は要求されないため、特に陸上大型哨戒機は、当初は爆撃機、後には旅客機からの改造で賄うのが主流である[1]。例えばアメリカ陸軍航空軍のための爆撃機として開発されたリベレーターは対潜戦にも投入され、大戦中最良の哨戒機と評された[2]。アメリカ海軍では、このように爆撃機を兼任する機体は哨戒爆撃機(Patrol bomber)と類別し、PBの機種記号を付していた[3]。 一方、哨戒機は高速で長距離を進出したのち、長時間にわたって低速で安定した飛行をする能力が求められており、これらを追求すると、他の目的で設計された機体の改造では不十分である[1]。このため、アメリカ合衆国のネプチューンやフランスのアトランティック、日本のP-1のように専用設計の機体もある[1]。 アメリカ海軍では、このような大型哨戒機の飛行隊にVP(Patrol Squadron)の記号を付しており[4]、これは海上自衛隊でも踏襲された[5]。 当初、陸上機では爆撃機が対潜戦に投入されたのと同様、艦上機では、アメリカ海軍においては雷撃機や艦上爆撃機[6]、大日本帝国海軍においては艦上攻撃機が用いられた[7]。 アメリカ海軍では滑走レーンが短い護衛空母(CVE)での運用を想定していたこともあって重量・容積の制約が厳しく、1機ですべてを賄うのではなく、捜索機(ハンター)と攻撃機(キラー)でチームを組んで運用していた[6]。その後、1954年に艦上展開を開始したトラッカーでは両者を兼任できるようになったかわりに、機体が大型化・大重量化したために護衛空母・軽空母での運用は困難になり、正規空母(CV・CVA)から類別変更した対潜空母(CVS)で運用された[8]。同機は海上自衛隊でも導入されたが、航空母艦をもたない海自においては陸上機として運用されており、VPが外洋
分類
大型哨戒機 (VP)
日本海軍の哨戒機「東海」
ネプチューン(P-2H)とオライオン(P-3A)
ポセイドン(P-8A)とP-1
艦上哨戒機 (VS)
アメリカ海軍では、このような艦上哨戒機の飛行隊にVS(Anti-Submarine Squadron)の記号を付しており[4]、海上自衛隊ではこれも踏襲した[9]。ただし哨戒ヘリコプターの運用が拡大されるのに伴って、アメリカ海軍では対潜戦の担当を解除され、水上捜索および空中給油機として用いられるようになった[10]。また海上自衛隊では後継機が導入されず、解隊された[9]。 長時間にわたって洋上を飛行するという任務の性格上、特に初期には飛行艇も投入されており、アメリカのカタリナや日本の二式飛行艇が用いられた[2][7]。しかし洋上で使用するため、海水による塩害などにより、耐用命数及び経済性などの点で、陸上機よりも劣る難点もあった[11]。 その後、ソノブイの技術・戦術が未発達であった時点では、ヘリコプターよりも高速で長距離進出できる飛行艇によって吊下式ソナーを展開することに期待されたこともあった[11]。しかしソノブイの技術・戦術が発達するとともに、飛行艇による浅海面でのソナー捜索の優位性は失われていった[12]。 1960年代中盤までに、西側諸国での哨戒飛行艇の運用はほぼ終了しており[8]、上記のような吊下式ソナーの運用を想定した日本のPS-1も1989年までに運用を終了した[12]。また東側諸国では飛行艇の開発が継続されており、ソ連では1965年よりBe-12を配備したが、こちらも陸上機によって代替されていった[8]。一方、中国は水轟五型(SH-5)を開発し、1984年より配備を開始したが、これは2014年現在、飛行艇が対潜哨戒機として新規に配備された最後の例となっている。 回転翼機は、速力や航続距離、搭載量のいずれでも固定翼機に劣るが、発着に要するスペースが格段に小さくて済むことから、特に艦載機として有用であった[7]。大戦中、大日本帝国陸軍は「あきつ丸」でカ号観測機の運用を試みたほか、ドイツ海軍もフレットナー Fl 282を船団護衛に投入した[7]。
陸軍特殊船「あきつ丸」艦上の三式指揮連絡機
チームを組んだアヴェンジャー(TBM-3S2およびTBM-3W2)
着艦するトラッカー(S-2G)
哨戒飛行艇 (PS)
カタリナ(PBY-5A)
Be-12
哨戒ヘリコプター (HS)「艦載ヘリコプター」も参照