対戦車砲
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出典検索?: "対戦車砲" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2007年5月)

対戦車砲(たいせんしゃほう)とは、対戦車兵器として使用される大砲である。火砲を射程と弾道特性によって大別した模式図
(1)対戦車砲(及び戦車砲)は徹甲弾等によって目標の装甲を貫徹することが主目的で、射角は水平に近く砲弾は低伸弾道をとる。また、(2)対空砲は「より高く」、(5)野砲カノン砲(加農)は「より遠く」へ砲弾を到達させることが求められる。カノン砲や後述する榴弾砲の一般的な弾道は擲射弾道と呼ぶ。
(1)(2)(5)は射角が異なるだけで、いずれも砲弾を高初速で発射する"gun"、つまり広義のカノン砲に含まれ長砲身である。したがって、対戦車戦闘が可能な対空砲やカノン砲も存在し、特に現代の艦砲は遠距離砲戦をはじめ至近での水平射撃から対空戦闘まで幅広くカバーする。
これらと比べ、(3)迫撃砲臼砲)の砲弾は大きく湾曲した曲射弾道を描き、砲口初速を低く抑えているため射程は短い。空気抵抗と安定翼の使用によって着弾時の角度は垂直に近くなる。
狭義の(4)榴弾砲はカノン砲に比べ短砲身・低初速で最大射程も短い。ただし、榴弾砲とカノン砲の定義は曖昧[注 1]で、現代では榴弾砲の長砲身化により野砲・カノン砲は消滅・統合され、(4)(5)ともに"howitzer"と名付けられる例が多い。
なお、対戦車砲・対空砲(機関砲を除く)は現在多くの軍隊でミサイルに代替されている。



概要

歩兵部隊の戦車に対する防御用火砲として特化し、初速貫徹力を重視し発射速度に優れ、かつ戦車からの発見・攻撃を防ぐために高さを低くした火砲である。照準眼鏡を用い、直接照準により射撃する。対戦車砲は低伸弾道(ライナー性で、直進し、長距離を飛んでも落差が少ない)を描く砲弾を撃ち出し、目標を砲弾の存速によって打ち破ることを目的とする。主目標は装甲された車両であるが、榴弾を用いて対人戦闘も可能である。ただし観測員を置いた間接砲撃は通常行わない。

通常、火砲は砲兵の装備であるが、対戦車砲は歩兵砲と同様に歩兵の装備となることも多い。また、当初は人力で陣地間を移動させながら戦うことを想定され、小型軽量な砲が使われた。第二次世界大戦前半頃までの戦車は総じて装甲が薄かったため小型の対戦車砲で対処可能であったものの、やがて火力と装甲のシーソーゲームが始まり進化を遂げ、大戦後半には野砲高射砲カノン砲(加農)と変わらない大きさとなり、牽引には人力や輓馬ではなく、中・大型の自動車や牽引車が必要になった。また砲自体が戦車の車体に搭載されるようになり、突撃砲自走砲に進化する。

第二次大戦後、大型化して運用が難しくなってしまった対戦車砲は、砲種の統合および軽便な無反動砲対戦車ミサイルの登場、また機動性に富む自走砲の進化によって消滅して行った。現代ではごく一部の国の二線級部隊に、野砲をかねた対戦車砲が残っているのみである。
開発の経緯

戦車は第一次世界大戦イギリス陸軍によって初めて実戦に投入された。ドイツ陸軍は歩兵による近接戦闘と野砲による直接射撃によりそれに対応した。カノン砲は直接照準、高初速を生かし、最前線に配置されていた。

第一次大戦後、各国は野砲を歩兵に随伴可能に軽量化した対戦車砲という新たな火砲を生みだし、ジャンルとして確立された。当時の戦車はまだ装甲も薄く、口径20?45mm程度の軽砲でも充分対応できた。しかし、第二次大戦開戦によりシーソーゲームは熾烈を極め、大戦中期には50?75mmが、大戦末期には85?90mmが主流となる。
第二次大戦期における高射砲による対戦車戦闘

第二次大戦初期、一部の戦車の装甲防御力に対し既存の対戦車砲(その当時で37mm級、50mm級)が威力不足であったため、野戦高射砲で対抗することがあった。高射砲は大口径(75?105mm級)、高初速、発射速度大など、スペック上は対戦車任務に適しているようだが、対戦車用の徹甲弾や直接照準器、また、水平射撃時の砲架や駐退機の強度などが考慮されていなければならず、最初から地上目標を想定した両用砲でなければ有効に使用できない。前線での咄嗟の思いつきで使っても有効に使用することはできず、対戦車戦に戦果を挙げた高射砲は、あらかじめ対戦車戦闘を想定して設計されていたものである。

ドイツ陸軍8.8 cm FlaK 18/36/37ソ連赤軍52-K 85mm高射砲はあらかじめ対戦車戦闘を考慮して設計されており、当初から徹甲弾も支給されていたため実際に戦場でも対戦車戦闘が行えた。しかしながらその汎用性の高さからくる耐久性を上げるため、野戦高射砲としては重量は大変重くなり、また対戦車砲としては射撃姿勢が高く目立ち対戦車運用には必ずしも適当ではなかった。

大日本帝国陸軍八八式七糎野戦高射砲は野戦高射砲として大変軽量かつ小型に仕上がり、比較的短時間の防空戦闘という運用には適していた。しかし開発時点では直接照準による対地攻撃を行う事を考慮しておらず、軽量ゆえに耐久性が低いため、無理な平射時にはしばしば駐退機の故障・破損を起こした。本砲では駐退機構造自体が、射角が高じるにつれ後座長が短くなるなど複雑でデリケートな構造であった。本砲は仰角15度以下の平射は想定しておらず、使用するには爆風よけの防盾と砲口制退器の装備が必要だった。1934年6月に海岸砲として配備された物には平射照準具が装備され、俯角は7度まで可能であった。

イギリス陸軍のQF 3.7インチ高射砲も対戦車戦闘は考慮されておらず、アメリカ陸軍M1 90mm高射砲も有効な対戦車戦闘ができなかった。
第二次世界大戦において使用された対戦車砲

以下に挙げた物は広く使用された物で、試作品の域を出ない物は除く。
ドイツ

大戦中、ドイツ国防軍は戦前半は質において、後半は量において優勢な敵と戦った。つまり常に戦車劣勢の立場にあっため国力の劣るドイツは、大戦全期を通じ積極的に対戦車砲の開発を行った。

「88(アハト・アハト)」こと8.8 cm FlaK 18/36/37は最も有名であるが、本来は対戦車砲ではなく野戦高射砲である。もともと対戦車砲を運用する歩兵連隊の対戦車(後に戦車猟兵・戦車駆逐)中隊用ではなかったが、大戦当初から空軍地上部隊から一部が陸軍に割譲され、「重対戦車砲」という名目で対戦車部隊の装備となっていた例もある。
3.7 cm PaK 36 L45 (45口径37mm対戦車砲)
3.7 cm PaK 36 L45大戦初期の主力対戦車砲。ラインメタル社製だが、ナチスが政権をとる以前、協定を結んでいたソ連国内で開発・試験され、ドイツより先の1931年にM1930(1K)としてソ連赤軍にも採用されている。37mm級としては威力のある方だったがフランスイギリス、ソ連の重装甲戦車相手に苦戦し、「ドアノッカー(叩くだけで貫通できない)」の蔑称がつけられた。能力的にはソ連侵攻あたりが限界だったが、砲口に差し込んで発射する専用の成形炸薬弾が開発されたことにより、近距離対戦車兵器としてその後も使われた。車載用としてSd Kfz 250Sd Kfz 251の小隊長車に使われ、戦車砲型が初期のIII号戦車に搭載された。また、本砲は中華民国にも輸出され、日中戦争において日本戦車に対し威力を発揮した。日本側も本砲を多数鹵獲し、改修を加えラ式37mm対戦車砲(ラ式とは本砲を生産したラインメタル社を指す)として配備した。またソ連赤軍では鹵獲したものをそのまま使用したり、45mm砲身に載せ換え改造してから使用している。
5 cm PaK 38 L60 (60口径50mm対戦車砲)[1]
5cm PaK 38近代兵器の一大実験場となったスペイン内戦におけるPak36の実戦レポートから、より強力な対戦車砲が必要であると感じた軍によって開発され、1939年より生産が開始された。実戦テスト的な意味合いも込めて1940年4月には早くも実戦配備についている。翌年開始された独ソ戦では、従来のPaK35/36ではソ連の新型戦車の装甲を貫通できず、これに比べ本砲では近距離ならT-34KV-1をなんとか仕留めることができた。貫徹力はAPC-HE(徹甲榴弾)を用いた場合、命中角60度で73mm/100m、61mm/500m。


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