対御方
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対御方(たいのおんかた)は、日本の中古から中世における女性の女房名
摂政藤原兼家。父は藤原国章藤原綏子を産む。のち兼家の長男・道隆の妾となり、一女を産む。

後鳥羽天皇宮人。大宮局とも。父は権大納言藤原定能尊円法親王、行超の母。宜秋門院女房。。

後伏見天皇宮人権大納言正親町実明の五女。慈真法親王、尊道入道親王、覚公女王の母。従三位に叙される。応安5年(1372年)2月23日没[1]。後伏見院対御方。

室町幕府第3代将軍・足利義満側室。父は四条隆郷(北畠隆郷)。応永28年(1421年)3月に足利義持正室日野栄子や義満の側室であった高橋殿らと共に熊野詣に出発している。一説に源春子と同一人物とされるが、明らかではない[2]。生没年不詳。

出典^ 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年、「対御方」
^ 臼井信義 著『人物叢書‐足利義満』吉川弘文館、1989年、p.252

参考文献

芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年 ISBN 978-4820578819

臼井信義『足利義満』(吉川弘文館人物叢書、1989年平成元年)新装版) ISBN 4-642-05150-3


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更新日時:2017年11月2日(木)06:19
取得日時:2019/01/17 21:31


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