対外治安総局
[Wikipedia|▼Menu]

対外治安総局
Direction generale de la Securite exterieure
対外治安総局のロゴ

ドルドーニュ県ドンムの衛星傍受施設(2005年7月20日)
組織の概要
設立年月日1982年4月2日
継承前組織.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

情報・行動中央局(BCRA)

本部所在地 フランス パリ20区 モルティエ大通り141番
人員7000人(2019年)
年間予算8億8000万ユーロ(2021年)
監督大臣

フロランス・パルリ(軍大臣)

行政官

バーナード・エミー(局長)

対外治安総局(たいがいちあんそうきょく、フランス語: Direction generale de la Securite exterieure、DGSE)は、フランス情報機関[1]。本部はパリ20区モルティエ大通り141番にある。対外治安総局の任務は、フランスの国家安全保障に関係する情報の収集及び分析・国外でのフランスに対する破壊活動の摘発及び予防[1]国家利益のための機密作戦の実施などである[1]国防省の傘下組織だが、文民軍人の比率は2対1と文民が多数であり、人員は7000人(2019年)である。
歴史

第二次世界大戦中の1942年に亡命政府自由フランスに創設された情報・行動中央局(BCRA)を前身とする。BCRAは1943年11月からアルジェリアで活動し、特殊戦力総局(DGSS)に改称された。1944年11月6日レジスタンス運動の諜報網がDGSSに統合され、研究・調査局(DGER)に改称された。

1946年に自由フランス軍第5局(情報部)と合同、首相に直属する防諜・外国資料局(Service de Documentation Exterieure et de Contre-Espionage、SDECE[2])が編成された。この機関は第一次インドシナ戦争ではインドシナラオスベトナム領内での特殊作戦に積極的に参加した。

1954年から1962年に渡って続いたアルジェリア戦争イスラム圏の情報分析能力を上げる。1962年にドゴールは、SDECEを国防相の配下に再び置き、その任務を軍事問題に限定した。1982年4月4日社会党政権による改革で、SDECEを現在の対外治安総局(DGSE)に改称した。1985年にフランスによるムルロア環礁核実験に抗議するためにオークランド寄港中のグリーンピース帆船爆沈事件が引き起こされた。フランス軍士官2名が逮捕され、ニュージーランド政府によりフランス対外治安総局によるテロ事件と断定されて国際問題となった。

2013年1月11日ソマリア南部の都市ブロマレルで、アルシャハブに拘束されている工作員の救出作戦を同局Action Division(英語版)の特殊部隊50人により実施したが、救出は失敗して工作員および特殊部隊員2名が死亡している[3][4]。詳細はBulo Marer hostage rescue attempt(英語版)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef