寺紋
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この項目では、日本固有の紋章の家紋について説明しています。

松本清張の短編小説および、それを原作とするテレビドラマについては「家紋 (松本清張)」をご覧ください。

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家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。目次

1 概要

1.1 家紋のおこり

1.2 家紋の発展

1.3 制限について

1.4 英語での表記について


2 歴史

2.1 平安時代 - 鎌倉時代

2.2 南北朝時代 - 室町時代 - 戦国時代

2.3 江戸時代

2.4 明治時代以降

2.5 第二次世界大戦後 - 現在


3 分類

3.1 定紋・代表紋・替紋

3.2 通紋

3.3 神紋・寺紋

3.4 女紋(おんなもん)

3.5 比翼紋(ひよくもん)


4 家紋のやりとり

5 図案構成

6 様々な家紋

6.1 菊紋と桐紋

6.1.1 菊紋

6.1.2 桐紋



7 家紋由来のシンボルマーク

8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典

8.3 参考文献


9 関連項目

10 外部リンク

概要
家紋は今日まで息づいている日本固有の文化であると言っていい。

古くより出自といった自らの
家系血統家柄地位を表すために用いられてきた。

日本だけで241種、5116紋以上の家紋がある。

単に紋所(もんどころ)や紋とも呼ばれる。

2018年現在、採取されているだけで 2万近くの家紋が確認されている。

武具(甲冑など)に好んで使用された。

家紋は人々の暮らしに息づいていた。

家紋のおこり

「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏平氏藤原氏橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。

家紋はの独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。
家紋の発展

その後、武家公家が家紋を使用するようになった。

血統や元々の帰属勢力としていくつかのグループに大きく分けることができる。

それぞれが代表的な家紋とそのバリエーションで構成される。

その他、各地の豪族がそれぞれ新たに創作した家紋が現代まで伝わっているものもある。

制限について

特別な紋章や場合を除いて、家紋を幾つも所有することは自由であったこともあり、墓地や家具、船舶にまで付けられるほどまでに広まる。

しかし家紋の使用に制限はなかったと言うが、他家の家紋を無闇勝手に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じる。

特に
大名将軍などの、地位の高い家のものとなればなおのことであった。

そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わないこととする暗黙の了解があったとされる。

英語での表記について

英語圏で用いられる象徴(Symbol)は抽象的な図案を指し、紋章(Coat of arms)は視覚的な図案を指すが、日本の家紋は「兜飾り」の意味から Family crest、Crest といった英語で表現されている。これは西洋の個人紋章(Coat of arms)の構成要素であるクレスト(Crest)は一族・家族で共有することがあり、日本の家紋と同様の機能を有するからである。日本名を音訳して mon、kamon とする場合もある。
歴史 合戦場を埋め尽くす家紋入りの 岐阜市歴史博物館蔵収蔵『関ヶ原合戦屏風』(江戸時代後期)
平安時代 - 鎌倉時代

家紋の起源は古く平安時代後期にまで遡る。奈良時代から調度や器物には装飾目的として様々な文様が描かれてきたが、平安時代になると次第に調度品に文様を描くことは視覚的な美しさだけでなく、貴族が各家固有の目印として使う特色を帯びてきた。そして平安末期に近づくと、西園寺実季や徳大寺実能といった公家が独自の紋を牛車の胴に付け都大路でその紋を披露して歩き回り始める。


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