寺川綾
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寺川 綾

選手情報
フルネーム寺川 綾
国籍
日本
泳法背泳ぎ
所属ミズノ
生年月日 (1984-11-12) 1984年11月12日(39歳)
生誕地大阪府大阪市
身長174cm[1](2012年現在)
体重60kg[1](2012年現在)

獲得メダル

競泳
日本
オリンピック
2012女子100m背泳ぎ
銅2012女子400mメドレーリレー
ユニバーシアード
2007女子400mメドレーリレー
2007女子100m背泳ぎ
2007女子50m背泳ぎ
2005女子200m背泳ぎ
2005女子100m背泳ぎ
2005女子50m背泳ぎ
2005女子400mメドレーリレー
2003女子200m背泳ぎ
2003女子50m背泳ぎ
2003女子100m背泳ぎ
パンパシ水泳
2002女子200m背泳ぎ
2010女子50m背泳ぎ
2010女子100m背泳ぎ
2010女子400mメドレーリレー
世界水泳
2011女子50m背泳ぎ
2013女子100m背泳ぎ
2013女子50m背泳ぎ
セッテコリ杯
2012女子200m背泳ぎ
2012女子100m背泳ぎ
東アジア競技大会
2005女子100m背泳ぎ
2005女子200m背泳ぎ
2005女子50m背泳ぎ
2005女子400mメドレーリレー


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寺川 綾(てらかわ あや、1984年11月12日 - )は、大阪府大阪市出身の日本の元競泳選手、スポーツキャスター。専門種目は背泳ぎ。スポーツメーカーミズノ社員。2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ銅メダリスト、400mメドレーリレー銅メダリスト。
略歴

寺川が水泳を始めたのは3歳の頃で、地元を本拠地としていたイトマンスイミングスクールに入り、そこで頭角を現し選手コースで力をつけた。クラブの先輩には千葉すず、その夫でもある山本貴司、同じ種目の選手である中尾美樹シドニーオリンピック競泳女子200m背泳ぎ銅メダリスト)がおり、山本らは学校の先輩ともなった。特に中尾は、引退後も大学職員として寺川をサポートし続けてきた。
高校時代

2000年4月、近畿大学附属高等学校へ入学。高校2年生だった2001年福岡市で行われた世界水泳選手権に出場する。中継を担当していたテレビ朝日番宣CMに出演した際に照れながら言った「声援ください」の一言で一躍注目を集め、2002年横浜市で行われたパンパシ水泳では200m背泳ぎで2位に入り、寺川自身初の国際大会でのメダル獲得となった。
大学時代

2003年近畿大学法学部に入学する。寺川は大学進学後もクラブには一応籍を置いていたが、学校側の方針により日本水泳連盟には「近畿大学の学生」として登録して大会に出場していた。また、在学中は大手英会話学校ジオスコマーシャルにも出演していた。

大学2年生で出場した2004年アテネオリンピックでは、200m背泳ぎで8位入賞を果たした(この時銅メダルを取ったのが中村礼子であった)。しかし、その後はライバルの伊藤華英との戦いの中で敗れ去る状態が続いた。事態打開のためアメリカでトレーニングをするなど努力を続けたものの、2006年シーズン(2007年3月の世界水泳終了まで)は日本代表から漏れた。寺川はこの悔しさをバネに、北京オリンピック出場を目指した。
ミズノ入社後

大学卒業後はミズノに入社し、陸上競技の室伏広治らと同様、ミズノの社員選手として競技を続けることになった。ミズノは2007年5月にSPEEDO水着事業から撤退し、翌6月から自社ブランドの水着事業展開を始めたが、寺川は他の「社員スイマー」とともに「ミズノスイムチーム」の結成に参加。以後はこの名義で大会に参加するとともに、社員として自社水着の開発目的でのテストスイムと、宣伝活動を行っている[2]

2008年4月に行われた日本選手権では、中村礼子と伊藤の前に100m、200mとも屈する形となり、2大会連続のオリンピック出場はかなわなかった。入社初年度のミズノ水泳部の女子部員が寺川だけで、商品開発のための「テスト・スイマー」としての泳ぎが優先され、自分のための十分な練習時間が取れなかったためではないかとみられている。

その後、平泳ぎの種田恵がミズノに入社することになった。それを受け、商品開発目的で泳ぐことの負担が軽減され自分のための練習時間や、平井伯昌コーチ[3] の教えを受ける機会を増やせるようになり、復活の兆しを見せ始めた。

2008年12月14日、第13回高岡市水泳スプリント選手権大会の50m背泳ぎで、26秒73の短水路日本新(当時)を記録[4]。2009年1月のKONAMI OPEN 2009では50m背泳ぎ28秒11、100m背泳ぎ1分00秒53と共に自己ベストを更新[5][6]2009年2月15日、競泳短水路の東京都記録会の50m背泳ぎで26秒40の短水路アジア新をマークした[7]

2009年4月に行われた日本選手権では、100m背泳ぎで59秒67と初めて1分を切り7年ぶり2度目の優勝を果たした[8]。50mでも予選で27秒94[9]、決勝で27秒78と連続で日本記録を更新して優勝した[10]。200mでは完全にライバル関係へと変わった伊藤を破り、“背泳ぎ三冠”を達成。ローマで開かれる世界選手権の代表に選ばれた。

2011年7月に上海で行われた世界水泳では、100m背泳ぎで5位に入賞、50m背泳ぎでは27秒93の記録で2位に入り銀メダル。世界選手権で初のメダル獲得となった[11]
ロンドンオリンピックで銅メダル獲得オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)

2012年4月に行われた日本選手権では出場種目を一種目に絞り、100m背泳ぎで59秒10の日本新記録で優勝してロンドンオリンピック代表に選ばれた[12]。5月のジャパンオープン100m背泳ぎでは自身の持つ日本記録を0秒02上回る59秒08で優勝を果たした[13]。さらに、200mでも自己ベストの2分7秒84で優勝すると、50mでは自身の持つ日本記録を0秒02更新する27秒71で優勝を飾った[14][15]

2012年のロンドンオリンピックでは、女子100m背泳ぎ決勝で58秒83の日本新記録ならびにアジア記録で銅メダルを獲得、寺川自身2度目のオリンピック出場で初のメダル獲得となった。また、競泳競技最終日の女子4×100mメドレーリレー決勝でも総合タイムでそれまでの同種目の日本記録を2秒近く縮めた日本新記録の3分55秒73で銅メダルを獲得した。日本の女子競泳選手で27歳でのオリンピックのメダル獲得は、北京オリンピック銅メダリストの中村礼子の26歳を上回り最年長記録となった[16]
2013年世界水泳バルセロナ大会

2013年7月から8月にかけて行われたバルセロナで行われた世界水泳では、100m背泳ぎで59秒23の記録で3位に入り銅メダル、50m背泳ぎでも27秒53の記録で3位に入り銅メダルを獲得する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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