寺島健
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日本政治家寺島 健てらしま けん
1933年4月29日撮影
生年月日1882年9月23日
出生地 日本 和歌山県西牟婁郡田辺町[1][2]
没年月日 (1972-10-30) 1972年10月30日(90歳没)
死没地 日本 東京都
出身校海軍兵学校卒業
前職海軍軍人
称号 海軍中将
従三位
勲一等瑞宝章
配偶者寺島悦子
親族寺島良業(父)
尾本知道(義父)
第48代 逓信大臣
内閣東條内閣
在任期間1941年10月18日 - 1943年10月8日
第23代 鉄道大臣(逓信大臣兼任)
内閣東條内閣
在任期間1941年10月18日 - 1941年12月2日
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寺島 健(てらしま けん[3]1882年明治15年)9月23日 - 1972年昭和47年)10月30日)は、日本海軍軍人政治家海軍中将予備役となったのち、東條内閣逓信大臣鉄道大臣を務めた。
生涯
寺島家

戦国時代武田信虎に仕え、江戸時代中期以降、紀州徳川家御付家老安藤家家中であった[4]。父寺島良業は和歌山県庁に勤務し、寺島はその四男である。妻は尾本知道[* 1]の四女悦子[2] [5]
海軍軍人

和歌山中学に進んだ寺島は、中学の先輩で海軍兵学校に在籍していた岡本米次郎野村吉三郎の生徒服姿に憧れ、海軍兵学校への進学を決めた[6][7]。志願者1374名[8]中合格者は200名[9]で、中学四年修了で受験した寺島の席次は16番であった[10]。寺島は学年が進むとともに席次を上げ、卒業席次は4番[11]である。1903年(明治36年)12月に卒業した海兵31期生の同期生には、生涯にわたる親友となった長谷川清らがいる[12][13][* 2]
日露戦争

海兵31期生は練習艦隊で実務訓練を開始するが、日対立の激化によって練習艦隊は解散となる。日露戦争における寺島は、連合艦隊参謀殖田謙吉らが戦死した際に秋山真之を補佐するため一時的に「三笠」乗組みとなった[14]時期を除き、第一艦隊第一戦隊所属の「敷島」乗組みとして従軍し、旅順口攻撃黄海海戦日本海海戦を戦った。「初瀬」、「八島」が触雷した際は、短艇指揮者として生存者救出に功績がある[15]。戦後の行賞で勲六等単光旭日章を授与されている。 一期後輩の堀悌吉。寺島の第六号潜水艇長時代の事故で、救難作業にあたった一人が堀悌吉中尉であった[16]。両名は軍務局長、駐仏武官、第二艦隊参謀長の軍歴を同じくし、大角人事でともに予備役となる。寺島の後任たる浦賀ドック社長でもあった[17]東條内閣海相の嶋田繁太郎は、「堀などが海軍大臣として在任していれば・・・」と述べている[18]
潜水艇

鹿島」回航員として31期首席の枝原百合一とともに英国出張し、砲術士を務める。上司の砲術長山岡豊一から信頼を受け、寺島は山岡夫人の妹悦子と結婚することとなる[19]。日本に帰還後は潜水艇導入の功労者である井出謙治の勧めで、草創期の潜水艇隊に勤務する。「第六号潜水艇」の艇長などを務めるが、半潜航時に海水流入による事故に遭い、機関兵曹の機転で浮上に成功している。寺島は事故原因となったベンチレーターの改良を図り、またベンチレーターのバルブに配員するなどの事故防止策をとったが、「第六号潜水艇」では後任者の佐久間勉艇長時代に殉職事故が起きた。寺島は佐久間の死を悼みつつ、ベンチレーターへ配員していなかったことなどを指摘している[20]
航海専攻士官・海軍大学校

海軍大学校乙種、同専修科[* 3]を経て航海専攻士官となり「対馬」、「千歳」で航海長を、第三艦隊参謀を歴任した。海軍大学校甲種には海兵31期の第一選抜で合格し、長谷川、加藤隆義米内光政らが同期である[21]。寺島自身の言によれば海大時代の成績は優れていたわけではない。寺島の伝記はその理由に教官に迎合しなかったことを挙げている[22][* 4]。在学中に少佐へ進級し、卒業後は軍令部参謀に補される。
第一次世界大戦期

第一次世界大戦では第二班長佐藤鉄太郎の指示を受けて軍令部在籍のまま第一南遣枝隊山屋他人司令官)参謀として出征した。第一南遣枝隊は独東洋艦隊捜索のため南洋方面を行動したが、会敵はしていない。一次大戦では、寺島の中学同窓生で、海兵同期の首席[10]入校者であった谷井徳之助少佐が戦死している。1916年(大正5年)2月に駐在を命じられ、次いで武官補佐官となる。寺島は仏語の習得に努めつつ、仏海軍潜水艦の調査、報告を行っている[23]。日本への帰還は経由で、駐米武官野村吉三郎、同補佐官長谷川清と再会した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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