寧州_(甘粛省)
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寧州(ねいしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から民国初年にかけて、現在の甘粛省慶陽市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代

468年皇興2年)、北魏により設置された華州を前身とする。487年太和11年)に華州は班州と改められた。490年(太和14年)、班州は?州と改称された。496年(太和20年)、?州は?州と改称された。北魏のとき、?州は西北地郡趙興郡・襄楽郡の3郡10県を管轄した[1]

554年廃帝3年)、西魏により?州は寧州と改称された[2]
隋代

初には寧州は2郡4県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、寧州の属郡の趙興郡と西北地郡は廃止された。606年大業2年)、寧州は?州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、?州は北地郡と改称され、下部に6県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分開皇元年区分大業3年
州寧州?州郡北地郡
趙興郡西北地郡新平郡定安県 羅川県
彭原県 襄楽県
新平県 三水県
定安県
陽周県彭陽県
襄楽県白土県
三水県
永寿県

唐代

618年武徳元年)、により北地郡は寧州と改められた。742年天宝元年)、寧州は彭原郡と改称された。758年乾元元年)、彭原郡は寧州の称にもどされた。寧州は関内道に属し、定安・定平真寧・彭原・豊義・襄楽の6県を管轄した[4]
宋代

北宋のとき、寧州は永興軍路に属し、定安・襄楽・真寧の3県を管轄した[5]

のとき、寧州は慶原路に属し、安定・定平・真寧・襄楽の4県と交城・棗社・大昌・要関・山河の5鎮を管轄した[6]
元代

のとき、寧州は陝西等処行中書省に属し、真寧県を管轄した[7]
明代以降

のとき、寧州は慶陽府に属し、属県を持たない散州となった[8]

のときも、引き続き寧州は慶陽府に属した[9]

1913年中華民国により寧州は廃止され、寧県と改められた。
脚注^魏書』地形志二下
^元和郡県志』は「廃帝三年改?州為寧州、以撫戎狄為名」とする。なお『周書』文帝紀下には、同年春正月の記事として「南?為寧州」と見える
^隋書』地理志上
^旧唐書』地理志一
^宋史』地理志三
^金史』地理志下
^元史』地理志三
^明史』地理志三
^清史稿』地理志十一










隋朝の行政区分

 606年大業2年)以前(州制)

雍州地区

雍州

同州

岐州



寧州

敷州

綏州

延州

慶州

原州

夏州

塩州

霊州

勝州

豊州


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