寒川神社
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この項目では、神奈川県高座郡寒川町の神社について説明しています。千葉県千葉市中央区の神社については「寒川神社 (千葉市)」をご覧ください。

寒川神社

社殿(拝殿)
所在地 日本
〒253-0195
神奈川県高座郡寒川町宮山3916
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度22分46.70秒 東経139度23分00.00秒 / 北緯35.3796389度 東経139.3833333度 / 35.3796389; 139.3833333 (寒川神社)座標: 北緯35度22分46.70秒 東経139度23分00.00秒 / 北緯35.3796389度 東経139.3833333度 / 35.3796389; 139.3833333 (寒川神社)
主祭神寒川比古命
寒川比女命
社格式内社名神大社
相模国一宮
国幣中社
別表神社
創建不詳
例祭9月20日
主な神事国府祭
浜降祭
浜降古式祭
武佐弓祭
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}寒川神社神奈川県の地図を表示寒川神社日本の地図を表示
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目久尻川と表参道二之鳥居

寒川神社(さむかわじんじゃ)は、神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する神社相模國一之宮式内社名神大社[注 1]で、旧社格は国幣中社。現在は神社本庁別表神社

関東地方における著名な神社の一つであり、年間約200万人に及ぶ参拝者が訪れる。初詣参拝者数は神奈川県内の神社では鎌倉市鶴岡八幡宮に次いで2番目に多い。また日本で最も昇殿祈祷者が多い神社としても知られる[1]
概要

創建時期は不詳であるが極めて古いとされ、約1600年前の雄略天皇の御代には既に朝廷より幣帛の奉勅があり、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では、相模国唯一の国幣大社として朝廷の名神祭に預かる名神大社に列格された神社である[2]

八方除守護神として多くの参拝者が集まり、正月三が日だけでも約50万人が初詣に訪れる。元日午前0時には大太鼓の合図と共に八方除祭・元旦祈祷祭が行われ、近年では迎春ねぶたの初点灯も実施されている。

著名人の参拝が多くことで知られ、俳優の高倉健は映画やドラマの撮影の合間に度々参拝に訪れていたことで知られる。(詳細は、その他の項目を参照。)

この他、宗教法人としての寒川神社は寒川病院[3]、老人介護施設「神恵苑[4]」を運営している。
祭神

現在の祭神は以下の2柱で、寒川大明神と総称される[5][6]

寒川比古命 (さむかわひこのみこと)

寒川比女命 (さむかわひめのみこと)

2柱とも記紀には記載がなく、詳細は不明[5][7]。寒川比古命・寒川比女命は、大水上命(おおみなかみのかみ)の御子とする説もある[7]。また、この二柱は牟弥乃神社伊勢神宮末社)で祀られている。大水上命は大山祇神と同一視されるが、詳細は不明[8][9]

また、祭神については他にも佐河大明神(吾妻鏡十二)、八幡神/八幡大菩薩(諸国一宮神名帳等)[注 2]、あるいは菊理媛命(惣国風土記)、澤女神(神名帳考証、神名帳注釈)、素盞嗚命稲田姫尊(旧神詞記)、大己貴尊(一宮巡詣記)などの諸説がある[10][5]
歴史

現在は神奈川県中央南部、相模川河口から約7km遡った左岸の低台地上に鎮座するが、弥生時代には相模湾が当地に入り込んでいた。

一説に古代より相模川より東部一帯に勢力を誇った相武国造(さがむのくにのみやつこ)がおり、相武国造の氏神として創祀されたと推定される。近隣に初代相武国造の茅武彦命(かやたけひこのみこと)が埋葬されたと伝わる大神塚古墳がある。5世紀雄略天皇の代には既に朝廷より幣帛奉幣があり、以後桓武天皇の代である延暦7年(788年)5月をはじめ、朝廷より幣帛・勅祭が行われた。さらに『続日本後紀』にて承和13年(846年9月8日には従五位下の叙位が授与される[11]。なお、相武国造の同族である千葉国造の領域にも寒川神社が存在する。

『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。

奈良平安時代古代東海道平塚市四之宮付近から相模川を渡り、寒川町南部の田端・一之宮付近を通り北上して寒川神社の東側を通過し、目久尻川に沿うように国分寺がある海老名方面に通過していたと推定されている。

また、鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。源頼家が誕生した際には、源頼朝より神馬の奉納等があった[10]。以後も北条氏鎌倉幕府)から崇敬された[10]戦国時代以降、相模国を支配した後北条氏徳川家康徳川幕府)より社領を認められた[10]。また、武田信玄が小田原攻めの途中に当社を参拝して戦勝を祈願し、自身の纏っていた太刀を奉納している(後述)。

明治4年(1871年)5月、近代社格制度において国幣中社に列した[10]


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