寒天
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寒天(乾燥品)100 gあたりの栄養価
エネルギー1,282 kJ (306 kcal)

炭水化物80.88 g
糖類2.97 g
食物繊維77 g

脂肪0.3 g
飽和脂肪酸0.061 g
一価不飽和0.027 g
多価不飽和n-30.102 g0.087 g

タンパク質6.21 g

ビタミン
ビタミンA相当量β-カロテンルテイン
ゼアキサンチン(0%) 0 μg(0%)0 μg0 μg
チアミン (B1)(1%) 0.01 mg
リボフラビン (B2)(19%) 0.222 mg
ナイアシン (B3)(1%) 0.202 mg
パントテン酸 (B5)(60%) 3.018 mg
ビタミンB6(23%) 0.303 mg
葉酸 (B9)(145%) 580 μg
ビタミンB12(0%) 0 μg
コリン(13%) 63.3 mg
ビタミンC(0%) 0 mg
ビタミンD(0%) 0 IU
ビタミンE(33%) 5 mg
ビタミンK(23%) 24.4 μg

ミネラル
ナトリウム(7%) 102 mg
カリウム(24%) 1125 mg
カルシウム(63%) 625 mg
マグネシウム(217%) 770 mg
リン(7%) 52 mg
鉄分(165%) 21.4 mg
亜鉛(61%) 5.8 mg
マンガン(205%) 4.3 mg
セレン(11%) 7.4 μg

他の成分
水分8.68 g


単位

μg = マイクログラム (英語版) • mg = ミリグラム

IU = 国際単位

%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。
出典: USDA栄養データベース(英語)

寒天(かんてん)は、テングサ(天草)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を固めたもの(トコロテン)を凍結・乾燥させたものである。英語では、マレー語からの借用によりagar-agar、または短縮してagar([?e????r, ?????r])と呼ぶ。

テングサ等の原材料を冷水に浸し沸騰させて炭水化物鎖を溶かし、他の物質を加えて漉し、38以下に冷ますことによって固める。寒天はゼラチンよりも低い、1%以下の濃度でもゲル化が起こる。一度固まった寒天ゲルは85℃以上にならないと溶けないため、温度変化に強く口の中でとろけることがない[1]

日本国内の流通量では2000年(平成12年)以降、工業的に製造された輸入品の数量が従来製法を含む国産品を上回っている。食用のゲルゼリー)の材料という点では、から作られるゼラチンに似ているが、化学的には異なる物質である。
歴史

江戸時代前期、山城国紀伊郡伏見御駕籠町(現:京都府京都市伏見区御駕籠町)において旅館「美濃屋」の主人・美濃太郎左衛門[2]が、島津大隅守が滞在した折に戸外へ捨てたトコロテンが凍結し、日中に融けたあと日を経て乾物状になったものを発見した。試しに溶解してみたところ、従来のトコロテンよりも美しく海藻臭さもなかった。これを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励され、その際に隠元によって寒天と命名されたという。

以上を寒天の起源とする伝承は複数の書物に見られるが、具体的な時期は諸説ありはっきりとしない。尾崎直臣は、島津大隅守とは島津光久を指し、『島津国史』の記載から1657年明暦3年)旧暦10月から12月にかけての江戸参勤を起源とするのが最も有力だと考察している[3]が、1645年-1656年に成立したと推定される[4]金森宗和の『宗和献立』に「こごりところてん」、虎屋1651年慶安4年)の記録に「氷ところてん」という記述があることから、起源はさらに遡る可能性がある[5]

当初は水で洗ってそのまま食することが多かったと考えられ、1671年寛文11年)刊の『料理献立集』に寒天を使用した精進刺身が載っている。菓子材料としては、1707年宝永4年)の『御菓子之畫図』に寒天を使用した棹菓子が見られる[6][7]

その後、摂津国島上郡原村城山(現:大阪府高槻市原)の宮田半兵衛が製法を改良して寒天製造を広める。1798年寛政10年)には寒暖差の大きい島上郡・島下郡能勢郡の18ヶ村による北摂三郡寒天株仲間が結成されており、農閑期の余業として寒天製造が行われた。寒天製造は1830年天保元年)頃に隣接する丹波国へも伝播し、丹波国へ行商に来ていた信濃国諏訪郡穴山村(現:長野県茅野市玉川)の行商人・小林粂左衛門[8]1841年?1842年(天保12?13年)頃に諏訪地方へ寒天製造を広め[9]、角寒天として定着した。同地での角寒天づくりは21世紀も続いている[10]

1881年明治14年)、ロベルト・コッホ寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えた。このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品であったが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止した。

寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発した。こうして作られたのが粉末寒天である。第二次大戦後には日本でも工業的な製造法の研究が始まり、1970年昭和45年)頃には製造会社が35社にまで達した。しかし、2004年(平成16年)には5社ほどにまで激減した。

日本では現在、上記の長野県茅野市のほか、岐阜県恵那市(旧山岡町)で細寒天がつくられている。屋外で寒天を干す場合、冬季に晴天が多く且つ1日の寒暖差が大きいことが、良質な寒天産地の条件である[11]

諸外国ではモロッコポルトガルスペインチリアルゼンチンで寒天が製造されている。寒天発祥之地(京都市伏見区)
製法
従来の製法オゴノリ静岡県西伊豆 テングサ干し長野県茅野市 寒天干し

寒天は12月から翌年2月の厳寒期に製造される。
原料海藻の精製
テングサは、砂浜に広げて時折、淡水を注いで十数日間陽光を浴びせた薄黄色のさらしテングサを用いる。これを河川の水に浸し、柔らかくしたものを水車でつき、貝殻、砂その他を取り除き、流水にさらし、塩分色素を除く。


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