とみた やすこ
富田 靖子
本名冨田靖子
別名義冨田靖子(旧芸名)
生年月日 (1969-02-27) 1969年2月27日(55歳)
出生地神奈川県茅ヶ崎市
出身地福岡県糟屋郡志免町[1]
身長156 cm[2]
血液型AB型[2]
職業女優・歌手
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1983年 -
配偶者岡本裕治(2007年 - 2021年)
事務所アミューズ
公式サイト公式プロフィール
受賞
東京国際映画祭
最優秀女優賞
1995年『南京の基督』
日本アカデミー賞
新人俳優賞
第8回『アイコ十六歳』
『ときめき海岸物語』
その他の賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞
2015年『きみはいい子』
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富田 靖子(とみた やすこ、1969年〈昭和44年〉2月27日 - )は、日本の女優。本名および旧芸名は冨田 靖子(とみた やすこ)[1][3]。神奈川県茅ヶ崎市生まれ、福岡県糟屋郡志免町出身[1][4]。神奈川県立港北高等学校卒業[5][6]。アミューズ所属。 1983年、中学在学中に映画『アイコ十六歳』のオーディションを受け、約127,000人の中からヒロインに選ばれる。同年12月に同映画でデビューし、同時に「オレンジ色の絵葉書」で歌手デビューも果たした。松下由樹、宮崎ますみも同じオーディションから輩出され、この映画に出演している。監督は今関あきよし。なお、このオーディションには岡田有希子と森口博子も参加していた[7]。 なお、富田は子供の頃から「靖子」という名前を何となくチープに感じており、あまり好きではなかったこともあって芸名でのデビューを希望していた。そこで、所属事務所・アミューズの大里洋吉会長宅にてスタッフとともに芸名会議を開くも、結局直感的に良いと感じるものが無く本名のままデビューとなった[注 1]。 デビュー作をプロデュースしていた大林宣彦監督の起用に応え、1985年の映画『さびしんぼう』に主演する。1986年には当時民営化されたばかりのNTTのCMに出演。親元を離れ東京で同居する三姉妹を描いた一連のシリーズCMが製作され、その三女を演じ、後に単発テレビドラマ化され、同様に三女を演じた。1987年には市川準監督の初監督映画『BU・SU』に主演し、横浜映画祭主演女優賞・高崎映画祭ベストアイドル賞を受賞した。『さびしんぼう』はキネマ旬報ベスト・テン5位(読者選出1位)、『BU・SU』は同8位(読者選出2位)と作品的にも高い評価を受け、しかも共に一枚看板的なヒロインを務めるという恵まれたスタートを切った。 しかし、テレビの連続ドラマでは期待されたほどの視聴率が取れず、1990年代に入り深津絵里や奥山佳恵ら事務所の後輩が台頭してきたこともあり、1995年の映画『南京の基督』で大胆なヘアヌードを披露し、イメージチェンジを図った。この作品で第8回東京国際映画祭最優秀女優賞を受賞。NHKは一時期、彼女のキャラクターを生かした正月特番ドラマを毎年用意するなど、重用していた時期もあった。また、毛利元就生誕500周年記念作品として製作した大河ドラマ『毛利元就』においては元就の正室・美伊の方を演じ、ドラマの要(原作では主人公)を担った。 1998年からは舞台に進出し、年1本のペースで出演している。現在は主演やヒロインを務めることは少なくなったが、ベテラン脇役(母親役など)として、家庭と仕事を両立しながら活躍している。 私生活では、2006年6月 - 同年7月に放送した日本テレビ『シャル・ウィ・ダンス??オールスター社交ダンス選手権?』でペアを組んだダンスインストラクターの岡本裕治[8]との共演がきっかけで交際に発展した[9][10]。2007年6月に結婚、同年女児を出産したことを2008年に公表した(※社交ダンスに関するエピソードは後述)[9][10]。 2024年3月、自身のSNSにて3年前に離婚していたことを公表した[11]。 楽曲に関するエピソードはシングルに記された各曲を参照。
来歴
人物
兄と妹がいる[12]。
自分の手や指に自信がなくコンプレックスの1つであるという。特に爪が小さく、長く伸ばしてもあまり格好がつかないため基本的に短くカットしている。テレビなどでも指先が露骨に映らないようにしている。演技でどうしても手のアップが必要なときは手の動きや角度などを工夫しているという。
薬師丸ひろ子に憧れ女優を目指していた。その経緯から、長い間(女優として)共演するチャンスを望んでいたが[注 2]、2013年11月にTBS系列で放送されたドラマ『こうのとりのゆりかご?「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来?』で初共演を果たした[注 3]。
命名することが好きで、富田が乗る自転車に「げんごろう2号」と名付けたが、周囲には公言していない[13]。
初めて観た映画は『機動戦士ガンダム』であり[注 4]、好きな映画は『転校生』(尾道三部作の1つ)である[14]。
テレビ朝日のプロデューサー、加地倫三は高校時代の同級生(同期生)である[注 5]。
アミューズでは、サザンオールスターズの次に所属年数が長い。
エピソード
機動戦士ガンダム
1980年代に女性アイドルとしてガンダムファンをカミングアウトした数少ない人物の1人で、富田は小学生の頃から熱狂的なファンだった。2021年に寄稿したメッセージで富田は「12歳の当時、私はアムロが好きではありませんでした」と述懐したが、大人になるとその考えが変わり、「アムロは守られるべき子供でした。ホワイトベースに乗っていたみんなも、20歳未満の子供たちです。本当にショックでした」と綴っている[16]。
シャア・アズナブルの大ファン[17][18]。TBSの『テレビ探偵団』にゲスト出演した際、『ガンダム』でのシャアの登場シーンに目を輝かせた。名古屋テレビの特別番組、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのすべて』に出演した時は、番組の最後に監督・富野由悠季から富田自身のサイズに合わせて製作されたシャア仕様の軍服がプレゼントされ、「コンサートでぜひ着たいなと思います」と語った。
トーク番組などにゲスト出演する際に、シャアへの熱い想いを語ることがある(後述)。富田は2021年に寄稿したメッセージに「赤い彗星のシャアへの想いは変わりません。静かに大熱狂してます!」と綴り、シャアへの熱い想いを改めて公言した[16]。
2018年11月に開催されたイベント『機動戦士ガンダムNTワールド(MOBILE SUIT GUNDAM NT WORLD)』では、自らがデザインしたガンプラ(「めぐりあい宇宙(そら)」)を出品している[注 6][16][19]。
番組内での逸話
名古屋テレビ『プレビュージョッキー』(1988年放送[注 7])で杉本純子(名古屋テレビアナウンサー(当時))と対談し、富田はシャアのファンであることを杉本に話し、『めぐりあい宇宙(そら)」でシャアが大写しとなる場面をカメラで撮影しようとしたことを明かした。その後、杉本から番組PRをお願いされた富田は「ガンダムってやっぱりイイ!」と話した後、「やっぱり、シャアはカッコ良かったです」と続けた。
名古屋テレビ「機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのすべて」(1988年放送[注 8])で司会を務めたが、本編の前に「私(富田)とガンダムの出逢い」(本人談より)という題でガンダムのファンになった理由を明かした[注 9]。同番組に出演したシャア・アズナブル役の池田秀一があいさつした後、富田は「私の愛するシャア・アズナブル」と語り、嬉しそうな表情を見せた。
NHK総合『ごごナマ』(2017年9月28日放送)の「おしゃべり日和」にゲスト出演し、シャアへの熱い想いを語ろうとしたが、両院議員総会中継の関係で中断した[20][21]。この顛末はネット上で話題となり、『ねとらぼ』を運営するITmediaは「哀戦士富田靖子」と表現した[20]。
NHK総合『あさイチ』(2019年1月25日放送)の「プレミアムトーク」にゲスト出演し、ガンダムへの熱い想いを語った[18][22]。
NHK総合『有田P おもてなす』(2019年10月5日放送)にゲスト出演。TKOのコント「ポンちゃん」[23]に(ガンダムの)ニュータイプの話があり、富田は「あっかーん、シャアや!」と反応した[注 10]。同番組で共演したぬまっちは2021年4月にTwitterで「富田靖子さんは『逆襲のシャア』公開の事前番組で(中略)MCされてたガチ中のガチ。知る限りガンダムファンだと公言した初めての芸能人」とツイートしている[24]。