富田メモ
[Wikipedia|▼Menu]

富田メモ(とみたメモ)とは、2006年(平成18年)7月20日の日本経済新聞朝刊により、その存在が報道された元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモ(手帳14冊・日記帳13冊・計27冊)。特に昭和天皇靖国神社参拝に関する発言を記述したと報道された部分を指す。昭和天皇が第二次世界大戦A級戦犯の靖国神社への合祀に、強い不快感を示したとされる内容が注目された。メモ全体の公刊や一般への公開はされていない。目次

1 内容

2 経緯

2.1 メモの記録

2.2 日本経済新聞の報道

2.3 影響

2.4 富田メモ研究委員会による最終報告


3 関連報道

4 論評

4.1 様々な意見


5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

内容

公開された富田メモの一部は以下の通りである。靖国神社についての発言は1988年昭和63年)4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)のメモにあった。一連のメモは4枚あったとされ、そのうちの4枚目にあたる。

前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ

※「易々と」の左側の位置から「そうですがが多い」「全く関係者も知らず」の2行が縦書きで書かれている。

メモは、「私は或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。松岡は日独伊三国同盟を締結し、A級戦犯で合祀されている元外務大臣の松岡洋右、白取はこれもA級戦犯で合祀されている元駐イタリア大使の白鳥敏夫、筑波は1966年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった靖国神社宮司の筑波藤麿とみられる。昭和天皇は、筑波宮司がA級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波が退任後、A級戦犯が合祀されたことに懸念を表明し、その中でも松岡洋右と白鳥敏夫までもが合祀されたことに強い不快感を表明した。

メモは、さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は平和に強い考があったと思うのに」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相の松平慶民。「松平の子」は、慶民の長男で1978年にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司・松平永芳とみられる。松平慶民は宮中に長く仕え、昭和天皇もその人物をよく知っていたが、その子供である松平永芳が、「易々と」合祀してしまったことに対して昭和天皇は「親の心子知らずと思っている」と、強い不快感を表明した。末尾には「だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と記述されている。

当初報道されたのは「私は或る時に…」以下の後半13行である。
経緯
メモの記録

1988年当時の宮内庁長官・富田朝彦は、宮内庁次長(1974年 - 1978年)と宮内庁長官(1978年 - 1988年)を務めた時期に、昭和天皇の側近として、天皇と会話した内容や天皇自身の発言を几帳面にメモとして記録していた。2003年に富田が亡くなった後も、メモは遺族によって大切に保存され、2006年一部が公開された。
日本経済新聞の報道

日本経済新聞社は2006年5月[1]にメモを遺族から入手し、日本史研究家である秦郁彦半藤一利の両人に分析を依頼した。『日本経済新聞』2006年7月20日朝刊第1面トップで「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」という見出しでメモの内容を報じるとともに、メモの写真の一部を公開した(経済関連の重要ニュースを通常一面トップを基本とする同社では異例の対応であった)。その中で、昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したという内容が注目された。各報道機関・番組も、この記事を大きく報道した。

また、同記事では長男の証言による筑波藤麿の言葉を紹介している。

B、C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者なので後回しだ。自分が生きてるうちは合祀はないだろう。

また、長男は「父からは天皇の気持ちについては聞いたことはない」とも語っていたと報じた(「後回し」の理由については「宮内庁の関係だ」と筑波がはっきりと言ったと元靖国神社広報課長の馬場久夫は証言している。馬場は「当時は何のことだか分からなかったが、『天皇のお気持ち』の意味だと考えると、なるほどと思う」とも話している[2])。

この報道は2006年度の日本新聞協会新聞協会賞(編集部門)に選ばれた。受賞者は記者の井上亮
影響

昭和天皇が1975年11月21日以降靖国神社に参拝しなくなった原因として、以前から推測されていたA級戦犯合祀が問題だったという説を裏付けるものだとして、テレビ・新聞などは大々的に報じた。

当時、小泉純一郎首相は任期の末年を迎え、「8月15日に靖国参拝する」という公約を過去3年間果たしておらず、その動向が注目されており、終戦記念日8月15日靖国神社に参拝するべきかどうかで議論が盛んであった。小泉は記者会見で自らの靖国参拝への影響を否定し、後日8月15日日中に報道各社が中継する中、靖国参拝を行った。

記事掲載の翌日7月21日(時間不詳)、日本経済新聞東京本社社屋に火炎瓶が投げ込まれた。2007年4月18日、警視庁公安部(公安第3課)は被疑者として自称右翼活動家の男(当時42歳)を逮捕した[3]。捜査機関に対して「日経新聞は、自分が神様とあがめる昭和天皇を靖国神社問題の世論操作に利用した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef