富澤純一
[Wikipedia|▼Menu]

富澤 純一(とみざわ じゅんいち)
日本学士院より公開された肖像
生誕 (1924-06-24) 1924年6月24日
日本
東京
死没 (2017-01-26) 2017年1月26日(92歳没)
居住 日本
国籍 日本
研究分野分子生物学
研究機関国立予防衛生研究所
大阪帝国大学
アメリカ国立衛生研究所
国立遺伝学研究所
出身校東京帝国大学
博士課程
指導学生小川智子
主な業績DNA複製におけるRNAによる制御の発見
主な受賞歴文化功労者2012年
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

富澤 純一(とみざわ じゅんいち、1924年6月24日 - 2017年1月26日[1])は、日本分子生物学者国立遺伝学研究所名誉教授総合研究大学院大学名誉教授

東京都生まれ。日本の分子生物学の黎明期より指導的な役割を担い、RNAによってDNA複製が制御されることを発見したことで知られる。1947年東京帝国大学医学部薬学科卒。薬学博士(東京大学1957年)。日本分子生物学会名誉会員。
経歴

1947年3月:東京帝国大学医学部薬学科 卒業

1947年4月:国立予防衛生研究所化学部

1956年アルフレッド・ハーシーの招聘により米国カーネギー研究所遺伝学部(現コールド・スプリング・ハーバー研究所)へ移る。

1957年薬学博士東京大学

1957年MITで遺伝暗号の研究を始めていたCyrus Levinthal の研究室に参加する。

1959年オレゴン大学研究員

1961年:帰国し国立予防衛生研究所化学部長に就任。分子遺伝研究のグループを組織した。

1961年金沢大学医学部で高木康敬と第1回のファージ講習会を開催。

1962年阪大微研の観音寺の施設で第2回のファージ講習会(4回まで参加)

1966年大阪大学理学部生物学科教授を兼任(遺伝学講座)。

1968年大阪大学理学部教授専任となる。大学紛争の最中には生物学科主任として対応したが、理学部封鎖も起こったため、研究の中断を憂えた米国の複数の大学、研究所から誘いを受ける。

1971年:大学の平常化後、米国国立衛生研究所(NIH)分子遺伝学部門 部長として転出。阪大在任中は学生との対応が中心となり、研究を考える余裕がなかった。

1989年10月:国立遺伝学研究所 第6代所長(1997年9月まで)総合研究大学院大学 教授

1996年9月:日本分子生物学会の英文学会誌Genes to Cells誌の創刊に携り、初代編集長を務める[2] (2005年まで)。

1998年国立遺伝学研究所 客員教授

2011年:故・桂子夫人の遺志に基づき夫妻の私財を抛って「日本分子生物学会 若手研究助成 富澤純一・桂子 基金」を立ち上げ、分子生物学会が「富澤基金」による若手研究助成事業を開始した。本研究助成は、生命科学の基礎的研究に強い熱意をもって携わっているが、必ずしも研究資金に恵まれていない若手研究者を対象にしており、助成金の使途を直接的な研究経費に限定しない、日本ではユニークな助成制度である。

専門業績
受賞歴

日本遺伝学会賞(1960年)

松永記念科学振興財団松永賞(自然科学部門)(1970年)

Public Health Service Award, U.S. (1976年)

朝日賞(文化賞部門)(1986年) 「遺伝子複製機構の研究、とくにRNAによる複製の制御の発見」[3]

栄典・顕彰

1971年アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員

1990年12月12日日本学士院会員(所属第2部第4分科(理学)分子生物学)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef