富山貨物駅
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富山貨物駅
駅舎(2008年6月)
とやまかもつ
Toyama Kamotsu

富山 (2.8 km) (1.2 km) 新富山口

所在地富山県富山市下赤江中摺15.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度42分36.8秒 東経137度14分14.0秒 / 北緯36.710222度 東経137.237222度 / 36.710222; 137.237222座標: 北緯36度42分36.8秒 東経137度14分14.0秒 / 北緯36.710222度 東経137.237222度 / 36.710222; 137.237222
所属事業者日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線■あいの風とやま鉄道線
キロ程44.4km(倶利伽羅起点)
米原から238.8 km
電報略号トカ
駅構造地上駅
開業年月日1987年(昭和62年)3月31日
備考貨物専用駅
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富山貨物駅(とやまかもつえき)は、富山県富山市上赤江中摺にある日本貨物鉄道貨物駅である。あいの風とやま鉄道線に所属する。

富山操車場跡地に、1990年に開設された駅。着発線荷役方式(E&S方式)を導入している[1]
歴史写真中央に真直ぐ伸びる白線が富山操車場建設のための土砂運搬人車軌道1962年(昭和37年)当時の富山操車場北陸本線貨物支線東富山 - 蓮町間の開業を報ずる新聞記事

1940年昭和15年)4月:東岩瀬臨海工業地帯造成事業の開始に伴い、富山 - 東岩瀬間に操車場を建設する計画が浮上する[2]

1943年(昭和18年)7月:富山 - 東岩瀬間に32.3万m2の敷地を買収し、操車場の建設を開始する[2]。この頃、操車場建設に供する土砂運搬のために、常願寺川左岸河川敷まで国土交通省立山砂防工事専用軌道と同様に軌間約610粍の人車軌道が敷設された[3]。ただし、戦時のため1944年(昭和19年)に至り工事は中断する[2][4]

1948年(昭和23年)12月24日:富山県議会が富山操車場設置促進に関する意見書を採択する[5]

1954年(昭和29年)より再び着工する[4]

1955年(昭和30年)10月1日国鉄北陸本線の富山操車場として開設[6](当時は鍋田操車場とも呼んでいた[7])。その一部利用を開始する[7]。この時点での操車能力は、1日に400輌であった[8]

1956年(昭和31年)

11月1日:鍋田操車場から富山操車場に改名[7]

11月10日:第一期工事が完了し[9]、同日午前9時35分上り青森大阪行機関車先頭に「祝富山操車場完成」の紀念幕を掲げ新線を走らせた[8]。また富山操車場 - 富山駅間が複線化する[10]


1958年(昭和33年)

4月10日東富山駅 - 富山操車場 - 蓮町駅間延長4.7kmの貨物支線が開業[11]。非電化[12]。同路線の開業により、従来富山駅を経由して運輸されていた富山港発着の貨物は、直接当操車場へと入るようになった[12]

4月26日:第二期工事が完了し、1日に2500輌を取扱い得る抱込式ハンプ操車場として日本海縦貫線の基幹操車場となる[9]。これにより敷地面積は33万m2、線路総延長は56,000mとなる[13]


1960年(昭和35年)12月3日:富山操車場において貨物列車操車中に三重衝突の事故が発生し、3輌?覆、8輌脱線の被害があったが、死傷者はなかった[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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