富山新聞
富山新聞社本社がある「富山新聞会館」
種類日刊紙
サイズブランケット判
事業者北國新聞社
本社富山本社
代表者澤基
創刊1923年(大正12年)5月1日
言語日本語
価格1部 180円
月極 3,380円
発行数4万2602部(日本ABC協会調べ、2019年1-6月[1])
ウェブサイトhttps://www.hokkoku.co.jp/list/toyama
富山新聞(とやましんぶん)は、北國新聞社富山本社が発行する朝刊専売の富山県の地方紙。発行部数は4万2602部(日本ABC協会調べ、2019年1-6月[1])で、富山県内でのシェアは約1割で3位[1]。 石川県金沢市の北國新聞社で紙面を製作・印刷しており、紙面は一部を除いて北國新聞と共有している。また論調は北國新聞と同様で、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}富山と名乗るが石川県民を指向した記事や社説が多い[要出典]。夕刊は1952年11月から発行した[2]が、1968年に発行を終了している。なお、富山県西部の小矢部市や高岡市、富山市の一部のコンビニエンスストアでは、富山新聞と北國新聞が併売されている。[要出典] 別の県で製作・印刷されている県紙はほかに大阪府の大阪日日新聞(日本海新聞グループ、鳥取県の新日本海新聞社で印刷)、福井県の日刊県民福井(中日新聞グループ、岐阜県の中日新聞岐阜工場で印刷)、奈良県の奈良新聞(大阪府の朝日新聞堺工場で印刷)がある(その他県域ではなかったが、常陽新聞が2014年に復刊した際、東京都の毎日新聞系・東日印刷で委託印刷をした事例もあったが、休刊中)。かつては北日本新聞社も石川県で「北陸新聞」の題号で発行していたが、北陸新聞は中日新聞社に経営権を譲渡し、現在の「北陸中日新聞」となった[3]。 かつて国民の祝日の発行号では、親会社の北國新聞と共に題字近くに「祝日には国旗を掲げましょう」の表記があった[4]。 主に「北陸総合」・「富山総合」・「とやま東」・「とやま西」の4面で構成されている。 番組解説は4番組。 NHK BSプレミアムは閉局に伴い掲載を終了し、NHK BSおよびNHK BSP4Kが3分の1サイズで掲載されている[15]。 [16] ラジオたかおかの番組解説が掲載されていた時期があるが、現在は廃止されている。なお、富山県内のほかのコミュニティ放送局の番組表は掲載されていない。掲載サイズは原則4分の1サイズ。
概要
事業所
本社(北國新聞社 富山本社)
富山県富山市大手町5番1号
支社
高岡
総局
魚津
氷見
砺波
支局
黒部
新湊
射水
小矢部
南砺
北國新聞社の富山県外の事業所については「北國新聞#事業所」を参照
沿革
1923年5月1日 - 中越附録が創刊[5]。当時の本社所在地は高岡市一番町[6]。
1924年1月1日 - 中越附録を越中新聞に改題[5]。
1940年8月1日 - 休刊[2]。
1946年3月11日 - 越中新聞復刊し、富山新聞に改題[7]。同時に本社を高岡市御旅屋町に置く[6]。
1947年7月11日 - 富山新聞富山支社の新築落成式を挙行[8]。
1952年11月 - 朝夕刊セット制となる(1968年まで)[2]。
1953年6月 - 現在地の富山市大手町に本社社屋(富山新聞会館)を建設し、移転[9]。
1954年 - 北國新聞社と合併[6]。
1968年11月1日 - 夕刊を廃止、朝刊専売紙へ移行[10]。
1985年4月1日 - 富山エフエム放送(FMとやま)が開局。この日から同局で『富山新聞ニュース』の放送を開始[11]。
1992年5月7日 - 富山市大手町に現本社社屋(富山新聞会館)竣工[12]。
2021年2月1日 - 公式ウェブサイトを有料化し、「富山新聞デジタル」として電子版の運用を開始[13]。
地域面
テレビ・ラジオ欄
最終面
フルサイズ
NHKテレビ
NHK Eテレ
チューリップ
KNBテレビ
BBT
HAB[14]
3分の1サイズ
NHK BS
NHK BSP4K
4分の1サイズ
NHK BS8K
中面
ラジオ
NHK FM
NHK第1
NHK第2
KNBラジオ
FMとやま
Size:89 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef