富山地方裁判所
[Wikipedia|▼Menu]

日本地方裁判所富山地方裁判所
所長吉田彩
組織
管轄区域富山県
支部高岡魚津
担当検察庁富山地方検察庁
上位裁判所名古屋高等裁判所金沢支部
下位裁判所富山簡易裁判所魚津簡易裁判所
高岡簡易裁判所砺波簡易裁判所
概要
所在地〒939-8202(専用: 939-8502)
富山県富山市西田地方町2丁目9-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度41分1.1秒 東経137度12分24.5秒 / 北緯36.683639度 東経137.206806度 / 36.683639; 137.206806座標: 北緯36度41分1.1秒 東経137度12分24.5秒 / 北緯36.683639度 東経137.206806度 / 36.683639; 137.206806
法人番号3000013030023
富山地方裁判所
テンプレートを表示

富山地方裁判所(とやまちほうさいばんしょ)は、富山県富山市にある日本地方裁判所の一つで、富山県を管轄している。略称は、富山地裁(とやまちさい)。高岡魚津に支部を置いている。

富山県を管轄しており、富山地方裁判所には富山市に置かれている本庁のほか、高岡市魚津市の2市に地方裁判所と家庭裁判所の支部を設置しているほか、前述の3箇所にくわえ砺波市の1箇所を加えた4箇所に簡易裁判所を設置している。富山、高岡の2つの検察審査会も設置されている。
沿革
府県裁判所から地方裁判所へ1876年(明治9年)に石川県裁判所支庁を設置した富山城址

明治初年、越中国においては富山藩時代の制度を踏襲して富山県及び新川県が裁判事務を行っており、1876年明治9年)4月18日に新川県が廃止されてからは、同年5月5日に富山城址の旧新川県庁に石川県裁判所支庁が設置されていたが、同年9月13日より府県行政官より司法権を独立させるため府県裁判所は廃止されることとなり、地方裁判所として金沢裁判所が置かれた[1][2][3][4]。これにより富山においては、同年12月15日に総曲輪の石川県支庁内において金沢裁判所富山支庁及び富山区裁判所が開設され[5]1881年(明治14年)5月23日に独立庁舎建設のため総曲輪の官有地1602坪を敷地に充て建設に着手し、同年6月30日に竣工した[3][4][6]
始審裁判所時代

1882年(明治15年)1月1日に地方裁判所を始審裁判所、区裁判所を治安裁判所と改められ、以降金沢裁判所富山支庁は富山始審裁判所、富山区裁判所は富山治安裁判所と称することとなった[4][7][8][9]。また、この際に各裁判所の管轄区域が定められ、富山始審裁判所は富山及び魚津治安裁判所を下級裁判所とし、越中国射水郡庄川以東)、礪波郡(庄川以東)、婦負郡上新川郡及び下新川郡を管轄することとなった[4]。なお、射水郡及び礪波郡の庄川以西については、金沢始審裁判所の下級裁判所たる高岡治安裁判所の管轄区域であった[4]

1883年(明治16年)2月1日に富山始審裁判所は廃止され、金沢始審裁判所富山支庁と改められた[8][10][11]。一方、同年5月9日には再び石川県内のうち越中国は富山県として独立し、これと同様に同年6月28日に金沢始審裁判所富山支庁は再び富山始審裁判所となり、また高岡治安裁判所が富山始審裁判所の下級裁判所に改められ、富山始審裁判所は富山県一円をその管轄に収めることとなった[12][13]
裁判所構成法時代1881年(明治14年)竣工の富山地方裁判所庁舎1917年(大正6年)竣工の富山地方裁判所庁舎

1890年(明治23年)11月1日には裁判所構成法(明治23年法律第6号)が施行せられ、富山始審裁判所を富山地方裁判所、管内各治安裁判所を区裁判所と改称された[14][15]。また、礪波郡を管轄する区裁判所として杉木新区裁判所が新設された[14][15]1905年(明治38年)4月1日に富山地方裁判所は大阪控訴院の管轄から名古屋控訴院の管轄下に改められ[16]1917年大正6年)6月15日からは富山区裁判所と共に富山市西田地方町字内浦割815番地の新庁舎(同年6月10日完成[17])に移転した[18]。この庁舎は、1945年昭和20年)8月2日の富山大空襲によって焼失している[19][20]。ために富山地方裁判所は一時的に富山市太郎丸の富山養得園の一部を間借りし、その後同年10月からは同市西長江の不二越託児所の一部を間借りして業務を行った[21]1949年(昭和24年)2月からは再び西田地方に庁舎を建設したのでこれに移転している[21][22]
戦後空襲により全焼した庁舎と1949年(昭和24年)に建設された庁舎1965年(昭和40年)に完成した庁舎

1947年(昭和22年)5月3日よりそれまで裁判所の組織等を定めていた裁判所構成法は、裁判所法の施行によって廃止され[23]、またそれまで裁判所に附置していた検事局も検察庁法によって検察庁として独立することとなった[24][25]。これによって各区裁判所は簡易裁判所と改められ、富山地方検察庁が設置された[26][27]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:64 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef