富士重工業
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この項目では、日本の企業について説明しています。同社が展開する自動車ブランドについては「SUBARU (自動車)」を、その他の用法については「」をご覧ください。

株式会社SUBARU
SUBARU CORPORATION
SUBARU本社(エビススバルビル)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 7270
1966年3月10日上場
略称スバル
本社所在地 日本
150-8554
東京都渋谷区恵比寿一丁目20番8号
(エビススバルビル)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分48.4秒 東経139度42分48秒 / 北緯35.646778度 東経139.71333度 / 35.646778; 139.71333座標: 北緯35度38分48.4秒 東経139度42分48秒 / 北緯35.646778度 東経139.71333度 / 35.646778; 139.71333
設立1945年(昭和20年)12月27日
(東邦化学株式会社)(創業:1917年(大正6年)5月)
業種輸送用機器
法人番号5011101019196
事業内容自動車航空機の製造・整備(自動車は車種一覧を参照)
産業用機器の製造・整備
代表者大崎篤代表取締役社長CEO
早田文昭(代表取締役副社長
資本金1537億95百万円
(2021年3月末現在)
発行済株式総数7億6917万5千株
(2022年3月末現在)
売上高連結:2兆7445億20百万円
単体:1兆4998億98百万円
(2022年3月期)
経常利益単体:761億56百万円
(2022年3月期)
純利益連結:698億33百万円
(2022年3月期)
総資産連結:3兆5437億53百万円
(2022年3月末現在)
従業員数連結:36,910人
単体:16,961人
(2022年3月末現在)
決算期3月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人
主要株主トヨタ自動車:20.00%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口):7.57%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口):5.33%
みずほ銀行:1.31%
損害保険ジャパン:1.27%
MIZUHO SECURITIES ASIA LIMITED-CLIENT A/C 69250601:1.31%
日本生命保険相互会社:1.24%
THE BANK OF NEW YORK MELLON SA/NV 10:1.18
(2020年3月31日時点)
主要子会社スバル・オブ・アメリカ
SUBARUテクノ株式会社
関係する人物大原栄一(元社長)
田島敏弘(元社長)
川合勇(元社長)
田中毅(元社長)
竹中恭二(元社長)
吉永泰之(元社長)
長門正貢(元副社長)
外部リンクwww.subaru.co.jp
特記事項:事実上の存続会社である富士重工業(旧社)の設立は1953年7月17日[注釈 1]
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株式会社SUBARU(スバル、: SUBARU CORPORATION[2])は、日本自動車などを製造する重工業の会社である。2020年の2月6日からトヨタ自動車株式会社持分法適用会社となっている。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[3][4]

かつての商号は、「富士重工業株式会社」(ふじじゅうこうぎょう、略称:富士重〈ふじじゅう〉・富士重工〈ふじじゅうこう〉、: Fuji Heavy Industries Ltd.、略称:FHI)であったが、2017年4月1日に自動車のブランド名として広く浸透していた「SUBARU(スバル)」に由来する「株式会社SUBARU」へ商号を変更した。
概要

日本の自動車メーカーとしては古い歴史を持ち、国内規模は小さいながらもレガシィシリーズ、フォレスターインプレッサシリーズなどで世界的人気・知名度の高い自動車メーカーの一つである。特に同社のアイデンティティである4輪独立懸架水平対向エンジンの技術は北米を始めとする海外で高く評価されており、中古車の輸出も盛んに行われている。なお、愛媛県四国中央市に本社を置く紙加工メーカーのスバル株式会社とは社名が似ているが無関係である。
歴史

1917年(大正6年)5月、中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現太田市)に設立された[5]民営の[6]飛行機研究所を前身とする[7]太平洋戦争第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機(1945年(昭和20年)に富士産業と改称)がプリンス自動車工業と共に解体されたのが 、富士重工業のルーツである。

軍需から非軍需産業への転換、スクーターバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により1953年(昭和28年)に富士重工業を設立。1955年(昭和30年)に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。

1958年(昭和33年)発売の軽乗用車「スバル・360」と、その派生型である1961年(昭和36年)発売の軽商用車「スバル・サンバー」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立。その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。
富士重工業の誕生まで
中島飛行機四式戦「疾風」詳細は「中島飛行機」を参照

中島飛行機は、主として太平洋戦争敗戦まで陸海軍の需要に応え、軍用機および航空用エンジン開発・製造に取り組んだメーカーである。三菱重工業川崎航空機と並ぶ、日本最大規模の航空機製造会社であった。

特に技師長小山悌の指揮下、陸軍陸軍航空部隊)の歴代主力戦闘機・九七式戦闘機一式戦闘機「隼」二式戦闘機「鍾馗」四式戦闘機「疾風」[注釈 2]など、多数の著名な軍用機を送り出した。実戦投入は成らなかったが、日本初のジェットエンジン搭載機「橘花」の機体製造も中島の手に依っている。

航空発動機部門では、軍用ゆえの生産性や戦闘における生存性、前線での整備性などから空冷星型エンジンにほぼ特化しており、一式戦「隼」や零式艦上戦闘機(零戦)に搭載された「榮(ハ25)」、四式戦「疾風」や「紫電改」に搭載された「誉(ハ45)」などを開発した。
企業解体と非軍需産業への転進


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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