富士見町
町丁
東京都立北豊島工科高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度45分40秒 東経139度41分51秒 / 北緯35.761072度 東経139.697442度 / 35.761072; 139.697442
国 日本
都道府県 東京
特別区 板橋区
地域板橋地域
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1])
人口4,648 人
世帯数2,898 世帯
面積([2])
0.225838361 km²
人口密度20581.09 人/km²
郵便番号174-0062[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート板橋
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富士見町(ふじみちょう)は、東京都板橋区の町名[5]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。 板橋区の南東部に位置する。北で前野町および宮本町、東で大和町、南で双葉町、西で常盤台と隣接する。町域の北辺を富士見街道、南東辺を東京都道318号環状七号線(環七通り)が通じている。町域は学校のほかは、ほぼ住宅地である。 武蔵野台地成増台の高台に属する。石神井川に向けて下り勾配をなす地形である。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、富士見町31-6の地点で48万2000円/m2となっている[6]。 廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡下板橋宿、上板橋村および前野村。
地理
地形
地価
歴史
沿革
1749年(寛延2年):五十宮倫子(いそのみやともこ)女王が徳川家治将軍との婚儀に赴く行列が縁切榎前を通過しないための迂回路(根村道)が、現在の当町域内に普請される。
迂回路は1804年(文化元年)の楽宮喬子(さざのみやたかこ)女王と徳川家慶将軍の婚儀、1861年(文久2年)の和宮親子(かずのみやちかこ)内親王と徳川家茂将軍との婚儀の際にも使用された。現在の国際興業バス富士見町停留所付近から環七通りを渡り、大和町と双葉町との境を下り、日曜寺から愛染通りを経て上宿に至る道であった。
1871年(明治4年)11月:廃藩置県後に所属した浦和県から東京府に編入。大区小区制実施。
1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡下板橋村、上板橋村、前野村となる。
1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により、下板橋村は東京府北豊島郡板橋町大字下板橋となる。上板橋村は併合対象とはならず、前野村は志村に併合される。
1920年(大正9年):北豊島郡立商工学校(東京府立滝野川商工学校を経て、1948年東京都立北豊島工業高等学校に改称)創立。
1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)板橋町十丁目、(旧)上板橋町二丁目、志村清水町となる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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