富士川 英郎人物情報
生誕 (1909-02-16) 1909年2月16日
日本東京都
死没2003年2月10日(2003-02-10)(93歳)
出身校東京帝国大学
子供富士川義之(イギリス文学者)
学問
研究分野文学(ドイツ文学者)
研究機関東京大学
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富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月10日)は、日本のドイツ文学者・比較文学者、東京大学名誉教授。 1909年、東京に生まれる。父富士川游は医学史家。神奈川県立湘南中学校から、旧制広島高等学校を経て1932年東京帝国大学を卒業。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。36年第六高等学校講師となり岡山に住む。1938年、長男富士川義之が出生。1943年、佐賀高等学校教授。 戦後は1946年に九州帝国大学講師、1949年に新制発足した東京大学教養学部助教授、1956年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、1961年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は島田謹二、氷上英廣。著名な弟子に平川祐弘や芳賀徹、小堀桂一郎など多数。1969年定年退官、名誉教授、玉川大学教授、1979年定年、5年間客員教授。1989年に日本藝術院会員に選出された。終生鎌倉市に在住した。 ドイツ文学者としてはR・M・リルケが専門で、『リルケ全集』の編纂を行った。またホフマンスタールの最初期の翻訳者で、のちに弟子らと『ホフマンスタール選集』の編纂にも参加した。 近世漢詩の研究でも著名で『江戸後期の詩人たち』で、1968年に読売文学賞(評論・伝記賞)、高村光太郎賞を受賞。1986年、日本芸術院賞受賞[1]。1990年に『菅茶山』で大佛次郎賞を受賞した。汲古書院で刊行された『詩集日本漢詩』(全20巻)、『詞華集日本漢詩』(全11巻)、『紀行日本漢詩』(全5巻)の編纂にも参与した。
来歴・人物
家族・親族
父:富士川游は医師、医学史家。森?外は父の友人でもあった。
長男:富士川義之はイギリス文学者。東大・駒澤大学などで教授を務めた。
著作
『ライナア・マリア・リルケ 詩人の生涯』南風書房 1948
『リルケ』世界評論社 1950
『リルケ 人と作品』東和社 1952
『リルケと「軽業師」』弘文堂 1958
『江戸後期の詩人たち』麦書房[2] 1966、再版1972/筑摩叢書 1973、再版1983/平凡社東洋文庫 2012 - 解説揖斐高