富士スピードウェイ株式会社
Fuji International Speedway Co.,Ltd種類株式会社
市場情報非上場
略称FSW(旧略称FISCO)
本社所在地 日本
〒410-1307
静岡県駿東郡小山町中日向694
設立1963年12月19日
業種サービス業
法人番号9080101004446
事業内容各種レースの主催・共催などの運営、ほか[注釈 1]
代表者代表取締役社長 酒井 良
資本金7億円
売上高42億4300万円
(2023年3月期)[1]
営業利益9700万円
(2023年3月期)[1]
経常利益9500万円
(2023年3月期)[1]
純利益1億6500万円
(2023年3月期)[1]
総資産98億7400万円
(2023年3月期)[1]
主要株主富士モータースポーツフォレスト株式会社(100%)
外部リンクwww.fsw.tv
特記事項:2023年4月3日富士モータースポーツフォレスト株式会社(トヨタ自動車株式会社100%出資)設立に伴い、同社の完全子会社となる[2]。併せて、三菱地所と大成建設の保有株式がトヨタ自動車に移譲[2]。
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富士スピードウェイ(ふじスピードウェイ、Fuji Speedway)は、静岡県駿東郡小山町にあるサーキットである。略称は「FSW」。 富士スピードウェイは、国際自動車連盟(FIA)から最高位の「グレード1」(フォーミュラ1の開催が可能)の認定を受けている国際格式のレーシングサーキットである[3]。 富士スピードウェイは1965年12月に完成し、1966年1月に営業を開始した。日本国内の現存するレーシングサーキットでは、1962年開業の鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)に次いで、2番目に長い歴史を持つサーキットにあたり、その鈴鹿と並び、日本の自動車レースの萌芽と開花に貢献してきたと評価されている[4]。(→#歴史) 東京都心からは車で通常1時間半程の立地で、首都圏からも中京圏からも近く[5]、所在地である小山町や、隣接する御殿場市にファクトリーを構えるレーシングチームやメンテンナンス会社も多い(→#周辺)。サーキットそのものは、山間かつ天候が不安定な土地にあることから、霧の発生や大雨に悩まされがちで、荒天によってレースの開催や運営に大きな支障を来たした例は少なくない(→#立地)。 運営会社の富士スピードウェイ株式会社は、開業当時は三菱地所の子会社で、2000年からはトヨタ自動車の傘下となり、2023年に同社系列の完全子会社となっている[2]。 様々なレースを開催しており、2023年現在、国際レースでは世界耐久選手権(WEC)、GTワールドチャレンジ・アジアなどを開催し、国内選手権では、スーパーフォーミュラ、SUPER GT、スーパー耐久といった日本の主要な選手権の開催サーキットのひとつとなっている。国内選手権においては、多くの選手権で年に(1戦ではなく)複数戦の開催を受け持っている。 サーキットの歴史の中でも、1976年に日本で初めてフォーミュラ1(F1)を開催したこと(1976年F1世界選手権イン・ジャパン)や、1970年代から1980年代にかけて人気を誇った富士グランチャンピオンレース(富士GC)を主催・開催していたことは特筆される。伝統的に耐久レースの開催が盛んで、1967年に日本初の24時間レース(富士24時間レース)を開催したほか[6]、1980年代以降には世界耐久選手権(WEC)、インターTECといった国際格式の耐久レースを開催している。 また、アマチュアレースの富士チャンピオンレース(富士フレッシュマンレース)を1966年のサーキット開業時からFISCOクラブとともに開催しており[7]、多くのドライバーを輩出している。 自動車レース以外では、マラソン、自転車競技などの会場として使用されることもある。それらは基本的に小規模な開催(ローカルイベント)だが、2021年には「東京オリンピック・パラリンピック」の自転車競技会場として使用された。 オーバルトラック(スーパースピードウェイ)として企画された経緯もあって高速なコースレイアウトで設計され(→#建設計画の端緒)、開業以来、日本有数の高速サーキットとして知られている。開業初期は、名物区間だった「30度バンク」を有することでも知られた(→#30度バンク)。 全長1.475 kmに及ぶ長大なメインストレートを大きな特徴とし、このストレート区間は、日本のサーキットでは最も長く、世界的に見ても、グレード1の常設サーキットが有するストレート(全開区間)の中で最も長いものとなっている[5][注釈 2]。世界中の古今のサーキットでもこの長さを超えるストレートは稀である[注釈 3]。 現在のコースレイアウトは、2005年にヘルマン・ティルケによって再設計されたもので、テクニカルコースとしての要素も加わったが、高速寄りな性格は変わっていない。(→#リニューアル後のコースレイアウト) 「スピードウェイ」という名称はレーシングサーキットの中でもオーバルトラック(楕円形のコース)において広く用いられるもので、この名称は富士スピードウェイの建設が元々はオーバルトラックとして計画されていたこと(→#建設から開業までの経緯)に由来する。 開業以来、サーキットを運営する「富士スピードウェイ株式会社」の英語社名「Fuji International Speedway Co.,Ltd」にちなんだ「FISCO」(フィスコ)を公式の略称としており、サーキットの愛称としても広く用いられていた。2000年にトヨタ自動車の傘下となり、2001年春から、略称は「FSW」に改められている[8]。その一方、愛称として親しまれていた「FISCO」の使用は2000年代以降も一部で継続され、サーキットを走行するための「FISCOライセンス」などで用いられ続けている。 1960年代の日本で自動車用部品の輸入業を営んでいたドン・ニコルズが、母国である米国で開催されていたNASCAR方式のストックカーレースを日本に持ち込もうと考えたことがサーキット建設の端緒となる[9][10][11][注釈 4][注釈 5]。 ニコルズはNASCAR社の経営者であるビル・フランス・シニア 翌1964年(昭和39年)1月15日、日本ナスカー社は、NASCAR社との間で、日本及び極東地域におけるNASCAR形式レースの独占開催権に関する契約を締結した[21][注釈 7]。 この契約は森らが米国に赴いて締結したもので、この際にサーキットの設計について、1周2.5マイルで、時速320 kmで走行可能なバンク(バンク角は最大31度から34度)を備えたオーバルトラック(スーパースピードウェイ)として建設するという詳細が両社の間で取り決められた[19][21]。 日本ナスカー社による建設計画は、NASCAR社と契約を結んだ時点でサーキットの建設用地をまだ確保しておらず、上記の取り決めのため広大な用地が必要となる[19][21]。 サーキットを建設するにあたり、富士山麓、箱根、伊豆といった数か所が候補地となる[21]。検討の結果、静岡県駿東郡小山町大御神の150万坪の土地を選定し[21][26][注釈 9]、1964年6月に地権者との契約にこぎつけ、30年間の借地契約を結んだ[21][注釈 10]。この時の地権者は451名もの多数に及んだが[29]、「世界に通じる東洋一のサーキットを作り、自動車産業を発展させ新しいレジャー産業を起こそう」という設立趣旨に地権者たちが賛同したことで、きわめて短期間の内に契約の合意が成された[29][注釈 11]。
概要
主なイベント詳細は「#主な開催レース・イベント」を参照
コースレイアウトの特徴
名称
歴史
建設から開業までの経緯
建設計画の端緒
当初設計案の頓挫建設予定地の視察を行うニコルズ、モス、マネーペニー(左から。1964年8月[注釈 8])