寂光院_(犬山市)
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この項目では、犬山市の寂光院について説明しています。その他の寂光院については「寂光院 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

寂光院
手前が随求堂、奥が本堂
所在地愛知県犬山市大字継鹿尾字杉ノ段121
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度23分43.1秒 東経136度57分49.2秒 / 北緯35.395306度 東経136.963667度 / 35.395306; 136.963667座標: 北緯35度23分43.1秒 東経136度57分49.2秒 / 北緯35.395306度 東経136.963667度 / 35.395306; 136.963667
山号継鹿尾山(つがおざん)
宗派真言宗智山派
本尊千手観音(秘仏)、大随求菩薩
創建年白雉5年(654年
開基道昭孝徳天皇(勅願)
正式名継鹿尾山 八葉蓮台寺 寂光院
別称継鹿尾観音、もみじでら
札所等尾張西国三十三観音33番
尾張三十三観音20番
東海百観音霊場20番
東海三十六不動尊2番
尾張三弘法
文化財本堂・随求堂・弁天堂・薬医門(国の登録有形文化財)
公式サイト ⇒犬山寂光院
法人番号4180005009321

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寂光院(じゃっこういん)は、愛知県犬山市にある真言宗智山派寺院。山号は継鹿尾山(つがおざん)。継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院(つがおざんはちようれんだいじじゃっこういん)と号する。通称継鹿尾観音(つがおかんのん)。紅葉で有名なことから「もみじでら」ともよばれる。

本尊は千手観音、随求堂の本尊は大随求菩薩である。
歴史

寺伝によると、白雉5年(654年)に孝徳天皇の勅願により南都元興寺の道昭和尚の手によって建立、支院18、寺領500石を有する盛大な寺であった。永禄8年(1565年)には織田信長が参詣の折り、清洲城の鬼門鎮護の霊刹として黒印50石、山林50町歩を寄進。江戸時代も寺領を持ち続けた。現在は寺域33万u(10万坪)を有する。

2014年(平成26年)10月には愛知登文会によって、愛知県内の37件の登録有形文化財の特別公開(後のあいたて博)が初めて行われたが、この際には寂光院も公開の対象となった[1]
札所

尾張西国三十三観音霊場
第三十三札所(満願霊場)

尾張三十三観音霊場第二十番札所

東海百観音霊場第二十番札所

東海三十六不動尊霊場第二番札所

尾張三弘法霊場

七福神特別霊場

境内

参道は全て東海自然歩道。境内全域は飛騨木曽川国定公園に含まれている。
本堂 - 本尊:千手観世音菩薩(秘仏)
現在の本堂は明治12年(1879年)、12代当主の時代に再建された。桁行5間、梁間5間、寄棟造、正面1間向拝付、桟瓦葺で、4周に切目縁を廻す。前2間分を吹放しで小組格天井の外陣とし、後方の内陣には禅宗様須弥壇を構え、厨子を置く。軸部は円柱で、組物は出組とする。装飾を押さえた伝統的形式になる本格的な仏堂建築。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。本尊の千手観音は秘仏で60年に一度の甲子年に限って開帳される。最近では大正15年(1926年)、昭和59年(1984年)に開帳があり、例外として「平成大修理」落慶記念で平成22年(2010年)にも開帳されている。秘仏千手観音厨子の「お前立ち」の像は南北朝時代の作とされている。
随求堂 - 本尊:大随求菩薩(秘仏)
文化2年銘の擬宝珠、内部柱に天保年間の墨書があることなどから、文化2年の建築と思われる。本堂西に東面して建ち、渡廊下で結ばれる。桁行5間、梁間3間、一軒、入母屋造、桟瓦葺で、4周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。軸部は角柱で床下部を高くつくり、縁を絵様付持送り板で受ける。側廻りに蔀戸を多用した住宅風の外観は籠堂の性質を示している。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。
弁天堂
本堂北方の高所にある。弁天像台座裏に文政3年(1820年)の墨書銘があるので同時期の建築と考えられる。ほぼ正六角形の平面をもつ小堂で、前半を吹放しで板床張の見世棚風とし、中央境に格子戸を設け、後方を板壁で囲った内陣とする。柱や屋根を六角形につくり、天井の棹や垂木は放射状に配る。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。
薬医門
山門は継鹿尾(つがお)山麓の西側に位置し、庫裏(くり)の正門である。棟札により、天保7年(1836年)に尾張藩御大工の竹中泉正敏により建築されたことが分かる。一間一戸薬医門(やくいもん)で左右に袖塀(そでべい)、潜戸一戸付、二軒繁垂木、切妻屋根、桟瓦葺である。男梁(おばり)を本柱上の冠木(かぶき)から控柱まで架け渡し、両端に出三斗組(でみつとぐみ)、中央に平三斗組(ひらみつとぐみ)を配して、虹梁(こうりょう)を支持し、大瓶束大斗実肘木(たいへいづかだいとさねひじき)で化粧棟木(けしょうむなぎ)を支え、牡丹の笈形(おいがた)を付ける。扉は八双金物(はっそうかなもの)、乳金物(ちかなもの)、菱形鋲(ひしがたびょう)を打ち、冠木上中央に群猿の彫刻を置き、女梁(めばり)、男梁(おばり)は絵様木鼻付き、背面側虹梁上には龍の彫刻を配する。屋根は現在桟瓦を載せているが、当初は本瓦葺きであった。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。

本堂(2011年3月)

お前立ち千手観音(2011年3月)

随求堂(2011年3月)

大随求菩薩厨子(2011年3月)

弁天堂(2011年4月)

薬医門(2011年4月)

願いの鐘(2011年4月)

馬鳴堂(2011年4月)

不動堂(2011年4月)


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