ミシャグジさまとは、中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジさま信仰)で祀られる神(精霊)である。長野県にある諏訪地域はその震源地とされており、実際には諏訪大社の信仰(諏訪信仰)に関わっていると考えられる。全国各地にある霊石を神体として祀る石神信仰や、塞の神・道祖神信仰と関連があるとも考えられる。神長官守矢氏邸(神長官守矢史料館)内にある御頭御射宮司総社(茅野市高部) 「ミシャグジ」の発音は「サク」「シャグ」「サグ」「サコ」「サゴ」「ショゴ」などが見られ、中には「おシャモジ様」まであるという[注 1]。「ミシャグジ」のほかに、「ミシャグチ[2]」「サグジ[1][3]」「ミサクジ[4]」「ミサグチ[5]」「シャクジン」[6]「シュクジン」[7][8]「シュクジ」「シュクシ」「シキジン」「シキジ」[7][9]「(お)さんぐうじ[1]」「(お)しゃごじ[1]」「じょぐさん[1]」「しゃごっつぁん[1]」「しゃごったん[1]」など多様な音転呼称がある。 当て字と漢字の組み合わせも大変多く(200以上もあるといわれている)、諏訪では「御左口神」「御社宮神」「御射宮司」「御社宮司」「御作神」が見られるが[10]、柳田國男は「石神」として取り上げたこともある[11]。柳田の『石神問答』(1910年)には「石護神」「石神井」「宿神」などもある[12][注 2]。金春禅竹の『明宿集』(1465年頃)は、「宿神」と「翁」とを同一存在と見なし[15]、翁(宿神)を諏訪明神や筑波山の岩石などと同一視している[16]。なお、石神(シャクジ)と石神(いしがみ)を同一視する辞書は複数ある[17]が、『日本民俗大辞典〈上〉あ?そ』は「石神(いしがみ)とは異なる」としている[18]。また検地の神といって「尺神(しゃくじん)」をあて、検地棒や検地縄を奉納する所もある[11]。このほか、「守護神」[19]「佐軍神[1]」「射軍神[1]」「赤口神[1]」「参宮神[1]」「社子神[1]」「曲口[10]」「佐口[10]」「山護神[1]」「釈護子[1]」「御佐久知神[20]」「御闢地神[20]」などとも表記される。 名前の由来については諸説あり、稲を守護することから「作(さく)神」とする説や[10]、土地を開拓する(=さく)ことによってその中に秘められた生命力を表出させることから「御作(咲)霊(みさくち)」とする説[21][注 3]、または蛇神とされたことから「御赤蛇」とする説[22]などが唱えられる。 ミシャグジさまの実態については様々な説があげられているが、解明されたとは言い難い[18]。 ミシャグジさまの分布を調べた今井野菊 信仰の分布からミシャグジさま信仰の淵源は、諏訪信仰に関わるとする見方がある[18]。昭和9年(1934年)に書かれた「地名と歴史」の中で柳田國男はこう書いている[24]。荒神・山神・地ノ神・道祖神は、西部の諸県にもあるが、伊勢から紀州の一部を止まりにして東にしかないのは.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}社宮司(しゃぐじ)という神である。これについて二十年余りも前に、私は小さな本を一冊書いている。それから後に判ったことは、信州の諏訪が根源で、今は衰えてしまった土地の神の信仰ではないかということである[25]。 なお、近年では全国に見られる「ミシャグジさま的なもの」やミシャグジさまめいた石神はすべて諏訪に由来すると考えるのは乱暴で、諏訪大社において特化したミシャグジさま信仰と、諏訪から切り離されてしまった諏訪由来と思われるミシャグジさま信仰、または他所に見られる「ミシャグジさま的信仰」をそれぞれ分けて考えるべきである、という意見が現れている[26]。かつての諏訪大社においてはミシャグジさまは特定の神官しか扱えない存在とされており、この神官が直接参向していなかった関東・東海等の石神信仰はそもそも諏訪地方のミシャグジさまとは直接の関係は持っていないはず、という指摘もある[27]。 幕末に書かれた『諏訪旧蹟誌』はミシャグジさまについてこう述べている。御左口(ミサグチ)神、此神諸国に祭れど神体しかるべからず。或三宮神、或社宮司、或社子司など書くを見れど名義詳ならざるゆゑに書も一定せず。或説曰、此神は以前(ムカシ)村々検地縄入の時、先づ其祠を斎ひ縄を備へ置て、しばしありて其処より其縄を用(モ)て打始て服収(マツロヒ)むとぞ。おほかたは其村々の鎮守大社の戌亥にあるべし。此は即石神也。これを呉音に石神(シャクジン)と唱へしより、音はおなじかれど書様は乱れしなり。[28] 『駿河新風土記』にも、村の量地の後に間竿を埋めた上でこの神を祀る一説がみられる他、『和漢三才図会』は「志也具之宮(しやぐのみや)」を道祖神(塞の神の一種)としている[18]。道祖神 柳田國男は、日本にみられる各種の石神についての山中笑らとの書簡のやりとりを『石神問答』[29]として1910年に出していた。
呼称
概要
分布・根源ミシャグジさまの分布(今井野菊の研究に基づく)
ミシャグジさまの実態
石の神か木の神か