千 容子
(容子内親王)
茶道裏千家(千家)
続柄三笠宮崇仁親王第2女子
全名千 容子(せん まさこ)
身位内親王 → (皇籍離脱)
敬称殿下 → (皇籍離脱)
お印楓
出生 (1951-10-23) 1951年10月23日(72歳)
日本・東京都品川区上大崎
三笠宮邸
配偶者千宗室(1956年 - )
子女菊地明史
阪田万紀子
千敬史
父親三笠宮崇仁親王
母親崇仁親王妃百合子
栄典勲一等宝冠章
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千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日[1] - )は、日本の元皇族。千宗室(茶道裏千家第16代家元)の妻。勲等は勲一等[2]。
皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、容子内親王(まさこないしんのう)[3]、お印は楓(かえで)であった。
三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子(3男2女のうち第4子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。姉に近衞ィ子(ィ子内親王)、兄にェ仁親王、桂宮宜仁親王、弟に高円宮憲仁親王がいる。学位は法学士。 松濤幼稚園、学習院初等科、学習院女子中等科、同高等科を経て、学習院大学法学部法学科に入学。3年修了後、スイスの全寮制の学校で学び、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。その間に、奔放な生活ぶりを母・百合子妃が心配し、連れ戻しにいったこともあるという[4]。 帰国後は、学習院大学法学部に復学。卒業後は、長兄・ェ仁親王が主宰する「柏朋会」などで、フランス語の講師を行なったりと、皇族内でも語学堪能のため皇室内の外国交際の際は重宝されたという。 1983年(昭和58年)10月14日、裏千家15代家元・鵬雲斎千宗室(現・千玄室大宗匠)の長男・坐忘斎千宗之(後に16代家元・千宗室)と結婚[5]。 翌年の1984年(昭和59年)に長男・明史を出産。1987年(昭和62年)に長女・万紀子、1990年(平成2年)に次男・敬史の2男1女をもうける。 2002年(平成14年)、夫の家元襲名に伴い第16代目家元夫人となる。茶道裏千家淡交会副理事長・国際茶道文化協会会長[6]等、裏千家および茶道関連の法人の要職に就いている。 長女・万紀子は、立命館大学4年在学中の2009年(平成21年)、葵祭・第54代斎王代に選ばれ[7]、容子とそろって取材を受けた。2017年(平成29年)、阪田修三・佳子夫妻の長男で医師の宗弘と結婚しており[8][9]、この時、皇室から三笠宮家及び高円宮家の妃や女王達(母・百合子妃のほか彬子女王、憲仁親王妃久子、承子女王、絢子女王)も参列した[9]。2019年(令和元年)には、千宗室・容子夫妻にとって初孫となる女児が誕生した[10]。 長男・明史は茶人を継ぐ道を選ばず、詩人として活動。戸籍名「菊地明史」として、2014年(平成26年)12月に独立(分家)した。 次男・敬史は茶人の道に進み、2020年(令和2年)10月8日、若宗匠に就任し、同日より「千宗史」を名乗る[11][12][13]。また、この継承における一部の諸行事にも皇室から三笠宮家の彬子女王が参列した[12][13]。 千容子父: 歴代天皇 歴代皇后 親王 内親王・女王 臣籍降下 妃
略歴
系譜
崇仁親王(三笠宮)祖父:
大正天皇
祖母:
貞明皇后
母:
百合子祖父:
高木正得
祖母:
高木邦子
大正天皇(明治天皇の子) 貞明皇后(大正天皇の妻)
昭和天皇(大正天皇の子) 香淳皇后(昭和天皇の妻) 秩父宮雍仁親王(大正天皇の子) 雍仁親王妃
勢津子(秩父宮雍仁親王の妻) 高松宮宣仁親王(大正天皇の子) 宣仁親王妃
喜久子(高松宮宣仁親王の妻) 三笠宮崇仁親王(大正天皇の子) 崇仁親王妃
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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