家路_(ドヴォルザーク)
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「家路」(いえじ、Goin' Home)は、アントニン・ドヴォルザーク1893年に作曲した交響曲第9番『新世界より』の第2楽章「ラルゴ (Largo)」の主題となる旋律に基づいて、ウィリアム・アームズ・フィッシャー(英語版)が1922年に作詞、編曲した歌曲、合唱曲。

この曲には、訳詞ないし作詞として、数多くの日本語の歌詞が作られている[1]。お使いのブラウザーでは、音声再生がサポートされていません。音声ファイルをダウンロードをお試しください。
歌曲「家路」の成立

アメリカ空軍バンドが演奏する「家路 (Goin' Home)」
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『新世界より』第2楽章:LargoMusopenより
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英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Goin' Home

ドヴォルザークの弟子であったフィッシャーは、1922年に、「ラルゴ」の主題の旋律に歌詞を載せて、編曲し、霊歌風の楽曲「家路 (Goin' Home)」としたが、この曲はしばしば民謡や伝統的な霊歌と誤解されることがある[2][3][4][5]。そのような誤解が生まれた背景には、もともとこの旋律が、先住民オジブワ族の英雄譚に取材したヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩『ハイアワサの歌』のオペラ化のために構想されたものを元にしていたことや、ドヴォルザークが黒人の弟子であったハリー・バーリー(英語版)から多数の霊歌を聞いており、これを『新世界より』の構想に活かしたことがあった[6]。バーリーは、ドヴォルザークが『新世界より』の作曲にあたって黒人霊歌を参考にしていたと述べている[7]

フィッシャー以外にも、やはりドヴォルザークの弟子であったハーヴェイ・ワーシントン・ルーミスが「Massa Dear」(1923年)、モーリス・アーノルド (Maurice Arnold)が「Mother Mine」(1927年)として、それぞれ英語の歌詞を載せた歌曲を編曲しているが、人気になったのはフィッシャーの「Goin' Home」であった[8]。フィッシャーは、「Goin' Home」の作詞にあたって、黒人英語風の表記を用いるなど霊歌を思わせる演出も加えていた[7]。フィッシャーの歌詞における「home」は「家」ではなく、「故郷」という意味と、キリスト教的な、死後に救済された魂が赴く場所としての「天上の故郷」という意味が重ねられている[9]

キャストがすべて黒人という、キング・ヴィダー監督による1929年の映画『ハレルヤ (Hallelujah)』では、終幕で「Goin' Home」が歌われる[10]
日本における普及

「Goin' Home」は、1930年代には「家路」として日本に紹介されており[11]、以降、様々な日本語の歌詞がこの旋律に載せて作られた[1]。特に、歌い出しの歌詞でもある「遠き山に日は落ちて」として知られる堀内敬三によるものは、戦後長く教科書に教材として採用され[12]、愛唱歌とされるほど定着している[13][14]。また、学校や公共施設などが夕方の帰宅時刻などを告げる音楽[15]として、この曲を流すことも多い[12]
日本語の歌詞

以下では、〈作詞者「曲名」- 歌い出し〉 の形で示す[1]

宮沢賢治「種山ヶ原」- 春はまだきの 朱(あけ)雲を[16]

1924年の作詞とされるが、公表は後年[17]


(作詞者不明〕「秋の姿」- あききぬすずしくははぬれ

日本国民音楽教育連盟 編纂『現代国民音楽教育 第一集 紅き雲』(1930年)所収[17]


牛山充「歸郷」- かえらんいざやふるさとに

若狭萬次郎 編『新男子音楽教科書 第三編』(1934年)所収[17]


西原武男「夕陽の沈む頃」

奥田良三のSP盤(1935年)[18]


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