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最高裁判所判例
事件名損害賠償請求事件
事件番号昭和61(オ)1428
1993年(平成5年)3月16日
判例集民集 第47巻5号3483頁
最高裁判所判例
事件名損害賠償
事件番号平成6(オ)1119
1997年(平成9年)8月29日
判例集民集 第51巻7号2921頁
裁判要旨
教科用図書の検定に当たり文部大臣が原稿記述に訂正、削除又は追加などの措置をした方が教科用図書としてより良くなるものとして指摘する改善意見は、これに応ずることを合格の条件とはせず、文部大臣の助言、指導の性質を有するものであって、これを付することは、教科用図書の執筆者又は出版社がその意に反してこれに服さざるを得なくなるなどの特段の事情のない限り、その意見の当不当にかかわらず、原則として、国家賠償法上違法とならない。
昭和五八年に申請された高等学校用日本史教科用図書の改訂検定を行うに当たり、文部大臣が、七三一部隊に関する記述につき、現時点ではまだ信用に堪え得る学問的研究、論文ないし著書が発表されていないので、これを取り上げるのは時期尚早であるとの理由で、右記述を全部削除する必要があるとの修正意見を付し、右削除を合格の条件としたことには、右検定当時、七三一部隊に関して多数の文献、資料が公刊され、七三一部隊の存在等を否定する学説は存在しなかったか、少なくとも一般には知られていなかったなど判示の事実関係の下においては、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び検定基準に違反するとの評価に関して看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法がある。
第三小法廷
裁判長大野正男
陪席裁判官園部逸夫 千種秀夫 尾崎行信 山口繁
意見
多数意見大野正男 園部逸夫 千種秀夫 尾崎行信 山口繁(論点1については全員一致、論点2については補足、反対意見有り)
反対意見大野正男 尾崎行信(論点2の一部について)千種秀夫 山口繁(論点2の一部について)
参照法条
学校教育法21条1項51条,旧教科用図書検定規則(昭和52年文部省令第32号)1条,旧教科用図書検定規則(昭和52年文部省令第32号)2条,旧教科用図書検定規則(昭和52年文部省令第32号)3条,旧教科用図書検定規則(昭和52年文部省令第32号)4条,旧教科用図書検定規則(昭和52年文部省令第32号)9条,国家賠償法1条1項
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家永教科書裁判(いえながきょうかしょさいばん)は、高等学校日本史教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者である家永三郎が、教科用図書検定(教科書検定)に関して、日本国政府を相手に起こした一連の裁判。1965年提訴の第一次訴訟、1967年提訴の第二次訴訟、1984年提訴の第三次訴訟がある。1997年、第三次訴訟の最高裁判所判決をもって終結。初提訴より終結まで計32年を要した為、「最も長い民事訴訟」としてギネス世界記録に認定された[1](その後、アメリカ合衆国で行われた別の裁判により記録が更新された[2])。 訴訟における最大の争点が「教科書検定は日本国憲法違反である」とする旨の家永側の主張であったが、最高裁は「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲にあたらない」とし、教科書検定制度は合憲とした上で、原告の主張の大半を退け、家永側の実質的敗訴が確定した。一方、検定内容の適否については、一部家永側の主張が認められ、国側の裁量権の逸脱があったことが認定された。 家永らが執筆した『新日本史』が1962年の教科書検定で戦争を暗く表現しすぎている等の理由により不合格とされ(修正を加えた後、1963年の検定では条件付合格となった)、1962年度・1963年度の検定における文部大臣の措置により精神的損害を被ったとして提起した国家賠償請求訴訟。
訴訟内容
第一次訴訟