家島諸島家島の遠見の岩宮から望む家島諸島
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地理
場所播磨灘
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分05.3秒 東経134度31分45.0秒 / 北緯34.668139度 東経134.529167度 / 34.668139; 134.529167
家島諸島(いえしましょとう)は、瀬戸内海東部の播磨灘[1](姫路市から沖合い約18km[2])にあり、東西26.7km、南北18.5kmにわたり大小40余りの島嶼で構成される兵庫県姫路市の諸島(2006年に編入合併)。
兵庫県の淡路島と香川県の小豆島と本州に囲まれ、面積は19.7平方km。有人島は4つで、約4000人が暮らす(2022年時点)[2]。多くは諸島名に冠されている家島に住み、他の主な島としては坊勢島、男鹿島、西島、太島、鞍掛島がある。家島本島の真浦、宮が中心集落で、古くから天然の良港として瀬戸内海航路の要地、避難港であった。花崗岩の切り出しと漁業、海運業が主な産業だが、第二次世界大戦後の乱獲と水質汚染による漁獲減少で現在は観光漁業と養殖が中心。一部は瀬戸内海国立公園に属する。地元では「いえしま」ではなく「えじま」と呼ばれる[3]。 姫路淡路島四国家島諸島小豆島明石海峡播磨灘大阪湾鳴門海峡紀伊水道 家島諸島の内、名前の付けられた島は27有る。このうち人々が住むのは家島、坊勢島、男鹿島、西島の4島[4]。
主な島
ランドサット7号 (Landsat 7) が撮影した家島諸島のある播磨灘海域。
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家島(いえしま/えじま/えしま)
家島諸島の中央に位置し、宮(みや)と真浦(まうら)の二つの地区がある(行政上の地名としては「家島町宮」「家島町真浦」)。天然の入り江を用いた家島港がある。面積は5.46km2。家島地区の人口の6割が住む[4]。読みは江戸時代の古文書である『高島秀和家文書』(家島町教育委員会発行『家島郷土歴史史(資)料集4』」)記載通り「いえしま」である。その他に「えしま」「えじま」と呼ぶ地域もある。
真浦
家島の中心地。本島の他に群島内の18島が属する。湾の中間にあったことから「間浦」と呼ばれたのが転訛したものか[4]。 真浦神社はかまど神である奥津彦神・奥津姫神を祀る。藻塩焼きに由来するものと考えられている。その背後にある飯森山は戦国時代の瀬戸内水軍の東端の根拠地と考えられている。家島神社の天神祭で演じられる「真浦の獅子舞」は島内唯一の県指定無形民俗文化財である[4]。
宮
家島湾入り口の集落。他に松島、加島、大コ島、男鹿島が属する。1225年(嘉禄元年)に近江国(現在の志賀家
男鹿島(たんがじま/だんがじま)
男鹿島宮に属する。男鹿小学校があった(廃校)。面積は4.57km2。男鹿島の名は、姫路のあたりに住んでいたつがいの鹿のうち、牡鹿がこの島へと渡ってきたことにちなむという[4]。対応して姫路市飾磨区に妻鹿(めが)という地名がある[5]。
坊勢島(ぼうぜじま)
行政上の地名としては「家島町坊勢」。姫路市役所坊勢サービスセンターと坊勢中学校、家島坊勢郵便局がある。面積は1.87km2。宮同様、かつては坊瀬浦と称した。瀬戸内海で唯一、人口が増えている島[6]。坊勢島の名は、『新・姫路の町名』では883年(元慶7年)学論に破れてこの島へ流された比叡山の高僧・覚円が「坊勢寺」を建立したことにちなむという。あるいは「ぼう」が浸食地形を、「ぜ」が瀬や岩礁をさすことによるものか[4]。姫路市では覚円の弟子が渡ってきたことや坊勢法師と名乗る水軍の首領にちなむといった説を紹介している[7]。
西島(にしじま)
家島諸島で最大面積を占め、南北に4.5km、東西に6kmで面積は6.59km2。隣接する坊勢島との距離は最も近い部分箇所で50mである。場所により坊勢と真浦それぞれに属する[4]。兵庫県立いえしま自然体験センターがある。「オドモ」や「マルトバ浜」「コウナイの石」などといった地名が残るが、その意味は明らかではない[4][8]。マルトバ浜は「韓浜(からはま)」ともいっていたが、『播磨国風土記』によれば異国の船が神の怒りに触れて打ち砕かれ漂着したことによるという[4]。家島諸島主要部の空中写真。1999年4月21日撮影の14枚を合成作成[9]。
面積が1km2未満の島
院下島
院下島南北に500m、東西に800mほどの島。海抜62mと75mの高台があり、中央に院下島灯台が立地。
黒フゴ島
院下島から南方700mほどの位置にあり南北に150m、東西に50mほどの島。最高地点は標高13m。
高羽島