家制度
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この項目では、日本の制度について説明しています。大韓民国の制度については「戸主制」をご覧ください。
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この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。

家制度(いえせいど)とは、1898年明治31年)に制定された明治憲法下の民法において規定された日本の家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。この規定が効力を有していたのは、1898年7月16日から1947年5月2日までの48年9か月半ほどの期間であった。
沿革

戸主の制度は、最も古くは大化の改新に始まる。孝徳天皇の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである[1][2]

前近代における「家」は、あたかも莫大な権利義務を有する法人のようなものであった。家長個人は権利義務の主体ではなく、家の代表者として強大な権利を行使するかわりに、家産・家業・祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデルは崩壊する。諸外国の例を見ても、家族制度が徐々に崩壊して個人主義へ至ることが歴史の必然と思われたが、かといって未だ慣習として根付いている以上、法律をもって強引に無くすことも憚られた。そこで、近い将来の改正を前提とし、所有権平仄を整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである[3][4]

なお、朝鮮では、日本による朝鮮支配の下で家制度を含む日本民法(1947年12月31日以前のもの)が朝鮮民事令により、依用された。ただし、当初は、民法の親族・相続に関する規定は依用せず、朝鮮の慣習に依るとした。その後、徐々に依用の範囲が拡大されたものの。最後の段階でも、民法のうち依用されたのは、氏、婚姻年齢、裁判上の離婚、認知、婿養子、親権、後見、保佐人、親族会、相続の承認及び財産の分離の規定[5]であり、家制度そのものはなお、朝鮮の慣習によることになっており、従って民法の依用により、日本の家制度が韓国に移植されとは言えない。しかし朝鮮戸籍令が、内地の戸籍法そのまま模倣したものであり、朝鮮戸籍令を通して,日本明治民法の家制度が朝鮮に定着・確定[6]し、1960年の大韓民国民法施行前まで続いた。台湾では、1945年に日本が降伏すると、中国本土で既に公布施行されていた中華民国の民法が適用された。
「家」の概念

「家」は、「戸主」と「家族」から構成される。戸主は家の統率者であり、家族は家を構成する者のうち戸主でない者をいう。

一つの家は一つの戸籍に登録される。つまり、同じ家に属するか否かの証明は、その家の戸籍に記載されている者であるか否かにより行われた。このことから、改正前民法の条文の「父ノ家ニ入ル」「家ヲ去リタル」という(当時の)表現は、戸籍の面からは、それぞれ「父の家の戸籍に入籍する」「家の戸籍から除籍された」ことを意味する。

なお、戸籍を管理するための法律として、1948年昭和23年)にそれまでの戸籍法(大正3年3月31日法律第26号)を全部改正して施行された戸籍法(昭和22年12月22日法律第224号)では、戸籍の作成単位を、夫婦と未婚の子として、三代以上の親族が同一戸籍に記載されない制度になっている(三代戸籍の禁止)。改正前の戸籍法では、戸籍の作成単位を、家とし、家制度においては家の構成員は二代に限られなかったので、戸籍上も三代以上の戸籍とすることに制約はなかった。
戸主

戸主は、家の統率者としての身分を持つ者であり、戸籍上は筆頭に記載された。このため、戸籍の特定は戸主の氏名と本籍で行われることになる。
戸主権・戸主の義務

戸主は、家の統率者として家族に対する扶養義務を負う(ただし、配偶者直系卑属直系尊属による扶養義務のほうが優先)ほか、主に以下のような権能(戸主権)を有していた。

家族の婚姻養子縁組に対する同意権(改正前民法750条)

ただし、離籍の制裁を覚悟するなら、戸主の同意の無い婚姻・縁組を強行することは可能(改正前民法776条但書・849条2項)[7]


家族の入籍又は去家に対する同意権(ただし、法律上当然に入籍・除籍が生じる場合を除く)(改正前民法735条・737条・738条)

家族の居所指定権(改正前民法749条)

家籍から排除する権利
家族の入籍を拒否する権利

戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の復籍拒絶(改正前民法741条2・735条)

家族の私生児・庶子の入籍の拒否(改正前民法735条)

親族入籍の拒否(改正前民法737条)

引取入籍の拒否(改正前民法738条)


家族を家から排除する(離籍)権利(ただし未成年者と推定家督相続人は離籍できない)

居所の指定に従わない家族の離籍(改正前民法749条)

戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の離籍(改正前民法750条)


明治23年旧民法人事編にも類似の規定があり、その制度趣旨は、家産を戸主個人の所有とした代償として戸主は家族員に扶養の義務を負うため、家族員が勝手に行方をくらましたり婚姻や養子縁組で扶養対象を無尽蔵に増やされると困るが、かといっていつまでも独身でいろというわけにもいかないから、独立して稼げる者が戸主の意に沿わない婚姻縁組を強行したいのであれば新家創立により戸主は扶養義務を免れるのが公平だという考えによったものと説明されている[8]

戸主の権利義務は少なくとも起草者の主観においては、妥当な範囲に制限しようとする意図が働いていた[9]。法律は、依然として、戸主といふものを認めてゐるが、唯だ、其一家の代表者として認めてるほどの事で、決して、生殺与奪といふが如き、強力の権力を認めてゐない。故に、家族に対して、懲罰権をもたぬのみか…戸主は、相続によって、其家の財産を持ってゐるから、家族を扶養する義務を負はした。かうなってみれば、其財産は、たとへ、戸主の名義でも、其実は、其一家の共有と同じ事だ。…要するに…戸主といふ者は、殆んど、必要がない様になった。…男女が、互に、想ひ想はれて夫婦になり度いといふても、戸主、又は、親が許さぬといふ場合…其戸主の監督を離れて離籍する事の出来るやうにしてある[10]。 ? 梅謙次郎「二十世紀の法律」『読売新聞』1900年(明治33年)1月5日戸主は絶対にその家族の行動を束縛すること能わず。故に家族にして独立するの力あらば戸主の束縛を受けず自己の意に従いて行動を為すことを得べし。唯戸主の恩恵に頼り生活を為さんと欲せば唯々、諾々その意に従うの外なきなり。是れ今日の時勢に於いては最も適当なる程度に於いて戸主権を保護するものと謂うべきか[11]。 ? 梅謙次郎『民法要義』
女戸主

戸主は男性であることが原則であるが、女性であっても家督相続や庶子・私生児などによる一家創立など、女戸主もあり得た。しかし男戸主に比べ、いくつかの差異があった。

隠居するには、年齢その他の要件を満たしている必要があるが、女戸主の場合は年齢要件を満たす必要がない(改正前民法755条)

(男性の)戸主が婚姻して他家に入るには、女戸主の家に婚姻で入る場合と婿養子縁組(婚姻と妻の親との養子縁組を同時に行うこと)に限られたが、女戸主が婚姻するためであれば裁判所の許可を得て隠居・廃家ができた(改正前民法754条)

婚姻により夫が女戸主の家に入る(入夫婚姻)際、当事者の反対意思表示が無い限り入夫が戸主となった(改正前民法736条)。ただし1914年大正3年)以降の戸籍法では、入夫婚姻の届書に入夫が戸主となる旨を記載しなければ、女戸主が継続する扱いであった。

戸主の地位の承継(家督相続)

戸主の地位は、戸主の財産権とともに家督相続という制度により承継される。相続の一形態であるが、前戸主から新戸主へ全ての財産権利が譲り渡される単独相続である点が現在の民法と大きく異なる。但し財産に関して言えば遺言等による意思表示がある場合において相続分の指定があり遺言が有効であると認められれば、法律上「当然」にそれは有効であった。戸主の地位の継承については法律上の推定相続人がいない場合に限り遺言は有効であるが、仮に居た場合には取消請求の対象とされた。

家督相続は次の場合に行われる。

戸主が死亡したとき

戸主が隠居したとき

戸主自身が婚姻し別戸籍に去ったとき

女戸主が入夫婚姻を行い夫に戸主を譲るとき

入夫婚姻により戸主となった夫が離婚により戸籍を出るとき

戸主が日本国籍を失ったとき

家督相続人(新戸主)となる者は、旧戸主と同じ家に属する者(家族)の中から、第一順位として直系卑属のうち親等・男女・嫡出子庶子・長幼の順で決められた上位の者(ただし、親等が同じ場合女子といえども嫡出子及び庶子が優先された。)、被相続人(旧戸主)により指定された者、旧戸主の父母や親族会により選定された者などの順位で決めることになっていた。なお、代襲相続の規定もあり、例えば第一推定家督相続人である長男に孫が生存したまま長男が戸主の死亡前に亡くなっていた場合には、長男の孫のなかから男女・嫡出子庶子・長幼の順で家督相続がなされた。


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