宮間あや
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宮間 あや


名前
愛称あや
カタカナミヤマ アヤ
ラテン文字MIYAMA Aya
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1985-01-28) 1985年1月28日(39歳)
出身地 日本千葉県大網白里市
身長157cm
体重50kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足
ユース
フッチボールSurf
読売メニーナ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1999 NTVベレーザ 0 (0)
2000 日テレ・ベレーザ 6 (2)
2001-2008 岡山湯郷Belle 110 (62)
2009 ロサンゼルス・ソル 20 (0)
2009→ 岡山湯郷Belle (loan) 6 (1)
2010 セントルイス・アスレティカ 5 (0)
2010 アトランタ・ビート 17 (1)
2010-2016 岡山湯郷Belle 122 (48)
代表歴2
2003-2016 日本162 (38)

獲得メダル

女子サッカー
女子W杯
2011 ドイツ
2015 カナダ
オリンピック
2012 ロンドン女子


1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月23日現在。
2. 2016年3月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

宮間 あや(みやま あや、1985年1月28日 - )は、千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)出身の元女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー千葉県立幕張総合高等学校出身。サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)では主将を務めた経歴も持つ。データ上で過去大会含め、ワールドカップの攻撃で最もチャンスを作っているプレイヤー[注釈 1]
経歴
幼少期・ユース

1985年1月28日、宮間文夫(現・大網白里市市議会議員)の次女として生まれる。父は、習志野高校時代にサッカー部に所属し[1]、高校3年次に読売サッカークラブの練習に参加した経験を持つ。その父が作ったチームである“ フッチボール Surf ”で、大網白里町立白里小学校1年の時からサッカーを始める。

小学校5年生の時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」に応募して、親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験し[2]日本サッカー協会から派遣されていた、元日本女子代表本田美登里と出会う。この時、宮間らボールを追う15名の少女たちを見て、本田は指導者の道を目指すことを決意する[3]

小学校6年生の時、中学1年の男子チームのメンバーとして県大会・地区予選に特例として出場。決勝戦では延長戦の末、自身がVゴールを決め優勝を果たした。この決勝戦で、監督である父からかけられた「自分以外の仲間のためにプレーしろ」という言葉を今でも鮮明に覚えているとする宮間は、「初めてチーム一丸となってサッカーの試合を戦った」と当時を振り返っている[4]。宮間のサッカーの技量は、小学生の時すでに、対戦した大谷秀和が「あとで聞くまで、女子とは思っていなかった」と振り返る[5] ほどになっていた。

また、小学生の時にはテレビ番組の収録で澤穂希小野寺志保たちとサッカーをする機会があり、将来の日本代表入りを期待する言葉をかけられるなど、当時から期待を集めていた[6][注釈 2]

読売メニーナに所属し、1999年にはNTVベレーザへの昇格を果たすが、自宅から練習場までの所要時間などが負担となり、幕張総合高校2年生の時に退団[注釈 3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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