宮田線
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宮田線
概要
現況廃止
起終点起点:勝野駅
終点:筑前宮田駅
駅数3駅(全線廃止時点)
運営
開業1902年2月19日 (1902-02-19)
廃止1989年12月23日 (1989-12-23)
所有者九州鉄道帝国鉄道庁鉄道院→鉄道省運輸通信省運輸省日本国有鉄道
九州旅客鉄道
路線諸元
路線総延長5.3 km (3.3 mi)(勝野-筑前宮田間)
2.2 km (1.4 mi)(磯光-菅牟田間 国鉄時代の1977年廃止)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化

路線図


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停車場・施設・接続路線
凡例


筑豊本線


0.0勝野駅


2.6
0.0*
磯光駅




0.9*新菅牟田駅 -1977


1.6*第二菅牟田分岐点 -1911


竪坑駅


2.2*菅牟田駅 -1977


貝島炭礦専用線


五坑駅


二坑駅


5.3筑前宮田駅




六坑駅

宮田線(みやだせん)は、福岡県鞍手郡小竹町勝野駅から福岡県鞍手郡宮田町(現・宮若市)の筑前宮田駅までを結んでいた、九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線地方交通線)である[1]。全線が福岡近郊区間に含まれていた。

1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行により第3次特定地方交通線に指定され、1989年(平成元年)12月23日に全線が廃止された。なお、九州では最後まで残った特定地方交通線であった[1]
路線データ

路線距離(
営業キロ):勝野 - 筑前宮田間 5.3 km

軌間:1067 mm

駅数:3駅(全線廃止時点。起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線

電化区間:なし(全線非電化

歴史

宮田線は、筑豊炭田有数の炭鉱であった貝島炭鉱からの石炭積み出しのため、1902年(明治35年)に九州鉄道の手により貨物線として開通した。1907年(明治40年)には、鉄道国有法により九州鉄道が買収・国有化され、当初は筑豊本線の貨物支線とされたが、1912年(明治45年)に勝野 - 桐野(後の筑前宮田)間で旅客営業を開始するのと同時に、1904年(明治37年)並びに1910年(明治43年)に開業した支線とともに桐野線(きりのせん)として独立した[1]

1937年(昭和12年)には、終点の桐野駅が筑前宮田駅と改められ、線名も宮田線と改称された[1]。以降も、貝島炭鉱とともに繁栄を極め、最盛期には各駅から総延長20 kmにも及ぶ専用鉄道が伸びていた。しかし、国の石炭政策の変化とともに衰退し、1976年(昭和51年)8月に最後の炭鉱が閉山したことにより、1世紀に及ぶ筑豊炭田の歴史は終焉を迎えた。それとともに宮田線も貨物輸送を失い、また宮田町の衰退とともに旅客輸送も減少していった。
年表

1902年(明治35年)2月19日:九州鉄道が勝野 - 宮田間 (3M29C) の貨物線を開業[2]


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