宮武外骨
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誕生宮武 亀四郎(かめしろう)
1867年2月22日
日本讃岐国阿野郡小野村(現・香川県綾歌郡綾川町小野)
死没 (1955-07-28) 1955年7月28日(88歳没)
日本東京都文京区駒込追分町(東京都文京区向丘二丁目)
墓地染井霊園
職業ジャーナリスト著作家
国籍 日本
活動期間1887年 - 1946年
主題パロディ言葉遊び、風俗史研究
代表作新聞・雑誌:
『頓智協会雑誌』
『滑稽新聞』
『スコブル』
『公私月報』など多数

書籍:
『奇態流行史』
『賭博史』
『面白半分』
アメリカ様』など多数
配偶者緒方八節
子供2人
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宮武 外骨(みやたけ がいこつ、1867年2月22日慶応3年1月18日〉 - 1955年昭和30年〉7月28日)は、日本ジャーナリスト新聞記者編集者)、著作家、新聞史研究家、明治期の世相風俗研究家。

明治・大正期にはジャーナリストとして、政治家官僚行政機関マスメディアを含めた権力の腐敗を言論により追及した。日本における言論の自由の確立を志向し、それを言論によって訴えた。また、活字によるアスキーアートを先駆的に取り入れた文章など、様々な趣向を凝らしたパロディ言葉遊びを執筆した。関東大震災以降は風俗史研究に活動の重点を移し、東京帝国大学(東京大学)に明治新聞雑誌文庫を創設した。
生涯
パロディから反官僚へ宮武外骨「頓智研法発布式」(安達吟光画)。大日本帝国憲法に擬した「頓智研法」を骸骨(=外骨)が下賜する場面。また条文の「第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」をもじり「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」とした。奥に立つ骸骨は明治天皇であるとして外骨は不敬罪で逮捕され、投獄は3年8ヶ月に及んだ。

讃岐国阿野郡小野村(現在の香川県綾歌郡綾川町小野)に庄屋宮武家の四男として生まれた。幼名は亀四郎。

一生農家で果てるのを嫌って、高松栄義塾で漢学を学び、明治14年(1881年)、14歳の時に上京し進文学舎においても漢学を学ぶ。東京で多くの出版物に触れて記者や著述家ほど愉快な職業はないと感じ、『朝野新聞』の成島柳北、『近事評論』の林正明 (肥後熊本藩士)、『東京新誌』の服部誠一らに憧れ、18歳から執筆活動を始める[1]

17歳の時に戸籍上の本名を 外骨 に改める。幼名の亀四郎の亀が 外骨内肉 の動物であることに因んだ物である[2][3]。正式の本名であるにもかかわらず、のようにしか受け止められないことが多く、役所や図書館の窓口などで「号ではなく本名をお願いします」などとたびたび言われるのが癪だと言って、「是本名也」と彫った印鑑を用いたことも少なくなかった。なお、晩年は「外骨」の読みを「とぼね」に改めている。

当初は比較的穏健だったが、反骨精神に富み自ら新聞・雑誌を刊行して政治や権力批判を行ったためたびたび発禁・差し止め処分を受けた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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