宮戸島
松島丘陵東端周辺の空撮。写真中央にある宮戸島は、写真左から延びる七ヶ浜と共に松島湾の湾口を形成する。
所在地日本
所在海域太平洋、仙台湾、松島湾
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度20分7.1秒 東経141度9分14秒 / 北緯38.335306度 東経141.15389度 / 38.335306; 141.15389 (宮戸島)
宮戸島(みやとじま)は、宮城県東松島市にある島である。仙台湾の支湾である松島湾と石巻湾とを分ける位置にある。島の周囲約12キロメートル、面積約8平方キロメートル[1][2]。島としては、松島湾で最大である。人口は約1,200人。日本三景松島の観光においては「奥松島」と言われる地区で、松島四大観の一つ「壮観」と称される眺望を得られる大高森や、波風によって浸食された荒々しい海食崖の嵯峨渓がある。砂の堆積により野蒜海岸と繋がり陸繋島となっていた時期があったが、昭和中期に潜ヶ浦(かつぎがうら)水道の開削が行われ、再び野蒜海岸とは分離された。潜ヶ浦水道には松ヶ島橋が架かり、島と本土を結んでいる。 現在の宮戸島は野蒜海岸[座標 1]の南端にあり、野蒜海岸を陸繋砂州とする陸繋島に近い地形だが、野蒜海岸とは潜ヶ浦水道[座標 2][3]によって分断されている。これらを結んでいるのが松ヶ島橋[座標 3]であり、ここを宮城県道27号奥松島松島公園線が通っている。宮戸島の西側にある浦戸諸島の寒風沢島[座標 4]とは、幅80メートルの鰐ヶ渕水道[座標 5]を挟んで向かい合っている。 島の気候は温暖で、ツバキなどの暖地性の植物と寒地性の植物が共存する珍しい場所でもある。島のほとんどは山地で、平地は少なく、海岸線が入り組んでいる。 島の最高峰は標高106メートルの大高森[4][座標 6]である。この山頂からは仙台湾およびその内湾である松島湾と石巻湾、牡鹿半島、蔵王連峰、栗駒山を望むことができ、松島四大観の一つに数えられ「壮観」と呼ばれる。 島の東南端にある萱野崎に向かう岬は「嵯峨渓」と呼ばれている[座標 7]。「めがね島」や「かえる島」など多数の名岩や奇岩が連なり、岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬渓と並ぶ「日本三大渓」の1つである。遊歩百選に選ばれている。 江戸時代では、鳴瀬川河口付近より南側にある不老山[座標 8]、鷺ノ巣岩[座標 9]、鰯山[座標 10]、宮戸島などは全て島であり、多島海の風景だった[5][6][7][8][9][10]。しかし、この海域の北東にある石巻湾の海岸付近では、波の影響で旧北上川等から供給される砂が海岸沿いを東から西へ移動する傾向があり、さらに鳴瀬川の流出土砂も加わって、特に鳴瀬川河口から宮戸島までの間に砂が堆積した[6]。これにより、不老山、鷺ノ巣岩、鰯山などは陸封され、それらより海側には野蒜海岸(洲崎浜)という広大な砂嘴の砂浜が形成された[6]。 宮戸島は明治時代までは島であり、対岸との海域は潜ヶ浦と呼ばれていた。しかし、潜ヶ浦において土砂の堆積が進むと、野蒜海岸が宮戸島へ徐々に延びて両者が繋がった。1934年(昭和9年)には野蒜から宮戸島まで道路が開通した[1]。それまでは野蒜と宮戸島の間の人の往来手段は主に渡し舟によるものだった[2]。 戦後、宮戸島と野蒜海岸との間に潜ヶ浦水道を開削するよう第12回国会衆議院運輸委員会に請願書が提出され、1951年(昭和26年)11月27日に審議された[11]。
地理
大高森詳細は「大高森」を参照
嵯峨渓
室浜より嵯峨渓を望む
めがね島
かえる島
潜ヶ浦における砂の堆積と水道の開削
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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