宮川彬良
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元プロ野球選手の「宮川晃」とは別人です。

宮川 彬良
出生名宮川 晶
別名アキラさん
生誕 (1961-02-18) 1961年2月18日(63歳)
出身地 日本東京都
学歴東京藝術大学音楽学部中退
ジャンル付随音楽
J-POP
職業作曲家
編曲家
ピアニスト
活動期間1983年 -
公式サイト宮川彬良 オフィシャルウェブサイト
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宮川 彬良(みやがわ あきら、1961年2月18日 - )は、日本作曲家編曲家ピアニスト。本名:宮川 晶(読み同じ)。大阪芸術大学音楽学科元客員教授

東京都出身。父は宇宙戦艦ヤマトなどを手がけた作曲家の宮川泰。妻はヴァイオリニストの森由利子。次女は女優の ⇒宮川安利。所属はスタジオオーデュボン、フェイス音楽出版。
来歴・人物

和光高等学校卒業、東京芸術大学音楽学部作曲科中退。

ジャパンアクションクラブ (JAC)宝塚歌劇団劇団四季など、多くのミュージカル音楽や、東京ディズニーランドのショー音楽なども手掛けている。宮川によると、本国のスコアのクオリティの高さは勿論のこと『キッズ・オブ・ザ・キングダム』の編曲作業の際、25分のショーでコーラスグループが、30曲近くを巧みに歌い繋ぐという物に単調なコーラスばかりを見てきた日本のアレンジャーにはカルチャーショックだったと回想している[1]。なお、この時代に使用していた録音スタジオは後に『宇宙戦艦ヤマト2199』の録音にも使用したという[2]2004年には松平健の歌う『マツケンサンバII』が大ヒットし、第55回NHK紅白歌合戦で歌われた。また、本人もコンサートCDを複数発売している。日本放送協会 (NHK) やJ-WAVEなどのラジオ番組にも出演し、様々なジャンルの音楽の普及に努めている(なお、ウィキペディアの本項では以前「主としてクラシック音楽を中心とした音楽の普及に努めている」と書かれていたが、本人は「全然違いますから」「僕はどっちかっていうとジャズ系の家に生まれたので」と否定しており、幼少期から家のラジオやテレビで流れてくるのはジャズやブルースの音楽で、むしろクラシック音楽は高校生になるまで嫌いだったため、クラシック音楽は大きくなっていく過程でようやく勉強しはじめたと語っている[3])。

関西地区、特に宝塚周辺において、地域に密着した音楽活動も積極的に行っている。1995年からは大阪フィルハーモニー交響楽団のポップス・コンサートの音楽監督を担当、1996年にはその活動に対してABC国際音楽賞が贈られた他、アンサンブル・ベガ(後述)を率いて頻繁に演奏会を行っている。また、浜松海の星高等学校吹奏楽部、宝塚市立宝梅中学校吹奏楽部と共に自作の初演を行うなどしている。

1997年なみはや国体で用いられた楽曲「メドレーマーチ“Oh!Namihaya”」「グランドオペラなみはやの夢」を手掛けたことから、大阪市音楽団(現:Osaka Shion Wind Orchestra)と交流があり、2007年には、大阪市音楽団を指揮し、特別演奏会を公演、吹奏楽で初めてのCD「ブラスバンド・バラエティ 宮川彬良&大阪市音楽団」(ライブ版)をリリースする。このライブで、父宮川泰の曲(『宇宙戦艦ヤマト』、『ズームイン!!朝!』、『ゲバゲバ90分』等)を吹奏楽版に編曲するという親子のコラボレーションと「マツケンサンバ」の作曲家が吹奏楽と共演することが話題を呼んだ。2010年に大阪市音楽団のアーティスティック・ディレクターに就任し、民営化後の2014年からは音楽監督を務める。

父同様に、テレビ番組にも積極的に出演している。また、2003年から2013年までNHK教育テレビの音楽番組『クインテット』において、アキラ役で出演していた。

その他、合唱曲も数多く手掛けている。
宇宙戦艦ヤマトシリーズとの関わり

父・泰の代表作であり、自身のデビュー作でもある「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」には高校生当時から関わっている。『宇宙戦艦ヤマト 完結編』に曲を提供した1980年代までは本名である宮川晶の名でクレジットされていた。

元々はテレビ版放送当時、視聴者として見ていたヤマトファンで、居間のテレビは妹が別の番組を見ていた為、多忙でスタジオに寝泊まりしていて帰れなかった父の寝室のベッドに寝そべりながらポータブルテレビで見ていた[4]

高校生当時の1978年6月22日、武蔵野音楽大学のベートーヴェンホールにて泰の作曲・編曲による『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集』の「白色彗星」を、「志村拓生」名義でパイプオルガンを用いて演奏している。しかし、当時はうまく演奏できず、テイクが36回に及んだという[5]。元々、同大学の教授に演奏を断られたため、オルガンを弾けるという理由で白羽の矢が立ったが、当時の彬良が弾いていたのはロックのオルガンであり、パイプオルガンは弾いたことがなかったそうである[6]

『ヤマトよ永遠に』では、とあるシーンのBGMを数曲作曲する。長めのものを1曲と短めのものを2、3曲作ったが、長めの曲はプロデューサーの西崎義展に「ヤマトの曲じゃない」と評されて未採用となり、短めの曲が採用された。なお、泰がポップス寄りだったのに対し、当時の彬良はクラシック寄りだったとのことであり、未採用に終わった曲は録音に立ち会っていた西崎が彬良による作曲と知らないにもかかわらず、演奏が始まった途端に「宮川(泰)さん、どうかしたのかと思った」とつぶやくほどそれまでの曲とかけ離れたものであり、後でテープで聞きなおしてみて自身も「これは父には書けない曲だ」と思ったそうである[6]。これ以降、何曲かを泰から任されるようになり、『宇宙戦艦ヤマトIII』では「第18機甲師団」や「バーナード星の戦闘」[注 1]、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』では「大ディンギル帝国星」などを作曲した[注 2]。当人曰く「大ディンギル帝国星」は今でも自信作とのこと[6]

宇宙戦艦ヤマト 復活篇』では作曲の依頼を受けていたが、第1作への思い入れから「復活篇はないだろう」と感じたこと[7]や、新作のたびに泰が苦労していたことを知っていたために自信がなかったこと[6]などの理由により、断っていた。しかし、『永遠に』などで未採用に終わった曲のうちの何曲かが、劇中で使用されている[注 2]

宇宙戦艦ヤマト2199』についても当初は断ろうと思っていたが[6]、第1作のリメイク作品であることを聞いたうえ、「最初のヤマトをやりたい」というスタッフの意向に賛同し、依頼を快諾した[8]。なお、旧作用BGMのマスターテープは劣化して使えず、譜面も現存していないため、彬良は耳コピーで本作用の楽譜を2か月かけて起こしたという[5]

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』や『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』についても、引き続き音楽を担当している。
音楽のジャンルについて

音楽のジャンルについては、「音楽業界の都合で仕分けされている部分が多分にある。最近ではもうこれ以上分けられないというほど細分化されてしまっているけれど、本来、音楽って商業主義のマス目の中でつくられる文化ではない。一説によると言語が出来る前から音楽があったとも言われている。古い音をコレクションするような気持ちで聴いても、あまり意味はないんじゃないかな。」

「そもそも、何を音楽とするのか。よく考えてみると、僕らは日常生活の中で無意識のうちに音楽を聴いています。関西弁のアクセントはそれ自体音楽ですよね。工事現場にも、歯医者さんにもそれぞれの音がある。これだけ文化がシャッフルされてしまっている現代においては、日常の中の様々な音を含めて、音を“観る”ようにしながら、“この音楽、こんなこと語ってるよ”“こんな場面が見える”“こんなふうにわくわくする”と感じ取るようにしていけたらいいのでは、と思います。」と話した[9]
ベートーヴェンの運命について

ベートーヴェン交響曲第5番『運命』については、(初めの“じゃじゃじゃじゃ?ん”をピアノで弾きながら)「このモチーフは、運命がやってきて扉を3回ノックしている。自分ではそれをどうすることもできないということを、次の音を下げることで表現しているんです。♪下がるぞ?♪、♪成績下がるぞ?、給料下がるぞ?♪と続く」「それが、第2テーマになると、主人公は新たな発見をする。♪よく見てみ?ろ、上がるから下がる、上がるも下がるも同じだ、ならば下がろう楽しく下がりましょ、怖くない!♪と、音色も楽しく終わるんです。ベートーヴェンのそんな哲学が込められているのですね」と見解を述べている[10]
アンサンブル・ベガ

1998年に、阪神・淡路大震災からの心の復興を目的として結成。演奏会の常連からは「アン・ベガ」と呼ばれ親しまれている。宮川彬良と東西のオーケストラの首席奏者8名から成り、演奏会における曲の作曲・編曲、ピアノ、司会を宮川彬良が担当している。結成以後から徐々に、演奏会の親しみやすさや、「8人なのにオーケストラの音がする」などと形容される演奏者のクオリティが話題になり始める。本拠が、宝塚市立文化施設ベガ・ホールという狭小な市民ホールであるのにもかかわらず、次第にその活動地域を広げ、2003年からはNHK教育テレビで放映された音楽教養番組『クインテット』の演奏も担当、2007年には、初の東京公演を行う。演奏会は前記のベガ・ホールのほか、兵庫県立芸術文化センターにおいてその多くが行われる。2005年に、坂井時忠音楽賞を受賞している。
主な作品.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

演劇

ミュージカル
ゆかいな海賊大冒険1982年 - 1984年、演出・主演 : 千葉真一) ※宮川晶名義。樋口康雄と合作。  

ミュージカル あしながおじさん1983年、主演 : 原田知世

ミュージカル 酔いどれ公爵1985年、演出・主演 : 千葉真一) ※宮川晶名義。

ミュージカル STAND UP!(1988年、出演 : 谷啓ジェリー藤尾ほか) ※老人呆け問題をテーマにした作品。

舞台 身毒丸1995年、演出 : 蜷川幸雄読売演劇大賞のスタッフ賞を受賞。

舞台 ハムレット(2002年初演、演出 :栗田芳宏) 2004年再演、読売演劇大賞のスタッフ賞を受賞。

舞台 さらば、わが愛 覇王別姫2008年、演出 : 蜷川幸雄

舞台 ムサシ(2009年、演出 :蜷川幸雄

音楽劇 ?ノッポさんのちいさな音楽劇? ありがとう! グラスホッパー[11]

歌劇『あしたの瞳』(2013年9月)

舞台 燃えよ剣?土方歳三に愛された女、お雪?(2013年、出演 : 十朱幸代

交響劇「船に乗れ!」(2013年)

漂流劇 ひょっこりひょうたん島(2015年) ※宇野誠一郎と合作。

妄想歌謡劇『上を下へのジレッタ』(2017年5月)[12]


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