宮崎県立日南高等学校
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宮崎県立日南高等学校

過去の名称宮崎県立飫肥中学校
宮崎県立飫肥高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 宮崎県
併合学校宮崎県立飫肥高等女学校
宮崎県立吾田高等学校
校訓EXCELSIOR(エクセルショー)
設立年月日1920年(大正10年)
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学科内専門コース探究科学コース
学期3学期制
高校コード45125J
所在地〒889-2533
宮崎県日南市大字星倉5800
北緯31度37分37秒東経131度21分58.1秒
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宮崎県立日南高等学校(みやざきけんりつ にちなんこうとうがっこう)は、宮崎県日南市にある共学県立高等学校
目次

1 概要

2 沿革

3 学校行事

4 部活動

5 著名な出身者

6 アクセス

7 周辺

8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

概要
歴史
1918年(大正7年)創立の高等女学校「宮崎県立飫肥高等女学校」と、1920年(大正9年)創立の旧制中学校「宮崎県立飫肥中学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革で、両校が統合され新制高等学校「宮崎県立飫肥高等学校」が発足。現校名になったのは1950年昭和25年)。旧制中学校の創立した1920年(大正9年)を創立年としており、2016年(平成28年)に創立96周年を迎える。
設置課程・学科
全日制課程 普通科

探究科学コース - 難関国公立大学および医学部歯学部薬学部進学希望者を対象とする。

普通コース

校訓
EXCELSIOR」(エクセルショー)
校章
海のを図案化したものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は矢野不二男、作曲は園山民平による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「日南」と校訓の「エクセルショー」が登場する。
同窓会
「黒潮同窓会」と称している。
沿革
旧制中学校時代


1920年(大正10年)2月 - 「宮崎県立飫肥中学校」(旧制中学校)が開校。初代校長に山本耕造が就任。

定員を200名、入学資格を尋常小学校を修了した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。


1922年(大正12年)

1月 - 南那珂郡吾田村に移転。

4月 - 本校と武道場が完成。


1923年(大正13年)1月 - 普通教室が完成。

1930年(昭和5年)10月 - 図書館が完成。

1936年(昭和11年)11月 - 温室が完成。

1941年(昭和16年)

4月 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1に相当)となる。

同年施行された国民学校令により、入学資格が国民学校初等科を修了した12歳以上の男子に変更された。


12月 - 普通教室を増築。


1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等教育令施行前に入学した在校生(新3・4年生)にも修業年限4年が適用されることとなった。

1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。

1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。

旧制中学校の募集を停止。

新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。


高等女学校時代

この節の加筆が望まれています。


1918年(大正8年)4月 - 「飫肥町立飫肥実科高等女学校」が開校。

実施年月日不詳 - 県立移管により「宮崎県立飫肥高等女学校」に改称。

1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。

1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。

高等女学校の募集を停止。

新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。


新制高等学校


1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、飫肥中学校と飫肥高等女学校の2校が統合され、新制高等学校「宮崎県立飫肥高等学校」が発足。

通常制普通課程(後の全日制課程普通科)が設置され、男女共学を実施。

旧制中学校・高等女学校の卒業者(5年修了者)を新制高校3年、4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。

旧2校の併設中学校も統合の上、「宮崎県立飫肥高等学校併設中学校」として存続。在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。


1949年(昭和24年)

3月31日 - 併設中学校を廃止。

4月1日 - 公立高等学校の再編により、宮崎県立吾田高等学校を統合し、農業課程(吾田校舎)とする。南郷分校が移管される。


1950年(昭和25年)

1月1日 - 日南市の発足により、「宮崎県立日南高等学校」(現校名)に改称。

4月1日 - 商業課程(後の商業科)と家庭課程(後の家政科)を新設。水産課程が分離し宮崎県立水産高等学校として独立。


1951年(昭和26年)

1月 - 新図書館が完成。

6月 - 農業課程が分離し、宮崎県立日南農林高等学校として独立。同時に南郷分校[1]を移管。


1954年(昭和29年)9月 - 台風により体育館が全壊。

1955年(昭和30年)- 商業科教室が完成。

1956年(昭和31年)10月 - 新体育館が完成。

1958年(昭和33年)6月 - 鉄筋コンクリート造の本館が完成。

1962年(昭和37年)- 鉄筋コンクリート造の校舎を増築。

1963年(昭和38年)

2月 - 校旗を制定。

3月 - プールが完成。


1970年(昭和45年)4月1日 - 宮崎県立日南振徳商業高等学校の新設に伴い、商業科の募集を停止。

1972年(昭和47年)3月31日 - 商業科を廃止。

1978年(昭和53年)3月 - 新体育館が完成。

1980年(昭和55年)4月 - 新管理棟が完成。旧管理棟を部室に改築。

1988年(昭和63年)3月 - EXCELSIOR(校訓)石碑を建立。


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