宮崎県立宮崎大宮高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度55分58.5秒 東経131度25分31.1秒 / 北緯31.932917度 東経131.425306度 / 31.932917; 131.425306
宮崎県立宮崎大宮高等学校(みやざきけんりつみやざきおおみやこうとうがっこう)は、宮崎県宮崎市神宮東一丁目に所在する県立高等学校。
概要
歴史
1888年宮崎県内初の県立中学校(旧制)として創立した「宮崎県立宮崎中学校」と、1896年に県内初の高等女学校として創立した「宮崎県立宮崎高等女学校」の2校を前身とする。1948年の学制改革により、以上の2校と商業学校2校が統合され、普通科と商業科を有する総合制の新制高等学校となる。現在は普通科と文科情報科の2学科を有している。旧制中学校の創立した(設置が議決された)1888年を創立年としており、2013年に創立125周年を迎え、宮崎県内の高等学校では最古の歴史を有する[1]。
進学
生徒の大半が国公立大学をはじめとする上級学校へ進学を目指している。1950年-2010年の東大合格者数累計205名。1985年11名、1995年8名、2008年6名、2009年5名、2010年1名、2012年7名等[2]。
設置課程・学科
全日制課程 2学科
普通科 - 1年時7クラス。2・3年時は理系4クラス、文系3クラスを編成(ただし希望数によって異なる[3])。
文科情報科 - 全学年、自然学級2クラス。
文系・理系の進学希望者をする生徒が在籍している。新教科「グローバル協創」という学校設定教科があり,1年次で「プロジェクト学習」で探究の基礎,「グローバルキャンプ」で英語活用能力を学んだ後,2年次に自分達と地元と世界を結びつけた「高大連携の課題研究」に取り組み,「生徒探究発表会」で日本語のポスターセッションを行い,「高校生フォーラム」で英語ポスターセッションを行っている。
校是(校訓)
「自主自律」「稚心を去れ」「質実剛健」
校章
新制高等学校の発足した1948年に校章が生徒・保護者に公募され、生徒の作品が選出された。竹の葉、雪の結晶、光を図案化したものを組み合わせ、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
1950年に制定。作詞は長嶺宏、作曲は園山民平による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大宮」が登場する。
姉妹校
高雄市立高雄高級中學(台湾高雄市)- 2015年11月締結Nguyen Tat Thanh Lower and Upper Secondary School(ベトナムハノイ)-2023年3月締結
同窓会
かつて校地のそばにあった湖の名称[4][5][6]にちなみ「弦月会」(げんげつかい)と称している。組織として宮崎弦月会、東京弦月会、関西弦月会、福岡弦月同窓会があり、各会とも毎年一回総会が開かれる。東京弦月会においては毎年8月に帝国ホテルにて、関西弦月会においては毎年4月に大阪梅田新阪急ホテルで総会・懇親会が開催され、福岡弦月同窓会は毎年6月に博多エクセルホテル東急にて総会が開催される。
沿革
旧制中学校(男子校)時代
1888年 - 宮崎県会において、尋常中学校の設置が決議される(創立年)。
1889年 - 「宮崎県尋常中学校」が設立される。校地は宮崎県尋常師範学校附属小学校の跡地[7]。
入学資格を高等小学校2年を修了した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。
1899年4月1日 - 中学校令の改正により「宮崎県宮崎中学校」と改称(「尋常」が除かれる)。
1901年4月1日 - 「宮崎県立宮崎中学校」に改称。
1908年4月1日 - 小学校令の改正により、入学資格を尋常小学校6年を修了した12歳以上の男子に改める。
1919年- 火災により校舎を焼失。現在地に校舎を新築し移転。
1941年4月1日 - 国民学校令の施行により、入学資格を国民学校初等科を修了した12歳以上の男子に改める。
1943年4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1に相当)となる。
1944年4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前に入学した生徒にも修業年限4年が適用される。
1946年4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
1947年4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
旧制中学校の募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍した(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
夜間部を設置(定時制課程の始まり)。
1948年3月31日 - 学制改革により旧制中学校が廃止される。
旧制高等女学校時代
1896年- 「宮崎町・大淀町組合立宮崎高等女学校」が設置される。校地は現在のNTT西日本宮崎支店(宮崎市広島1-5-3)の位置にあった。
1899年4月1日 - 県立移管により「宮崎県高等女学校」と改称。
1901年4月1日 - 「宮崎県立高等女学校」と改称。
1918年4月1日 - 県立高等女学校の新設[8]に伴い、「宮崎県立宮崎高等女学校」と改称。
1943年4月1日 - 宮崎市内に県立高等女学校が新設[9]されたため、「宮崎県立宮崎第一高等女学校」に改称。
1946年4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
1947年4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
高等女学校の募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍した(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
1948年3月31日 - 学制改革により高等女学校が廃止される。
旧制宮崎県立宮崎商業学校
宮崎県立宮崎商業高等学校#沿革を参照。
旧制宮崎県立宮崎女子商業学校
宮崎県立宮崎商業高等学校#沿革を参照。
新制高等学校
1948年4月1日 - 学制改革により県立の旧制中等教育学校4校が統合の上、新制高等学校「宮崎県立宮崎大宮高等学校」(現校名)が発足。
県立旧制中等教育学校(以下・旧制中等学校)4校 - 宮崎中学校・宮崎第一高等女学校・宮崎商業学校・宮崎女子商業学校
通常制[10](普通課程・商業課程・家庭課程)、定時制(普通課程)、通信教育部を設置し、男女共学を実施。