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宮崎県立宮崎南高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度53分4.2秒 東経131度25分9.9秒 / 北緯31.884500度 東経131.419417度 / 31.884500; 131.419417座標: 北緯31度53分4.2秒 東経131度25分9.9秒 / 北緯31.884500度 東経131.419417度 / 31.884500; 131.419417
過去の名称宮崎県立宮崎大淀高等学校普通課程
宮崎県立宮崎大淀第二高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 宮崎県
校訓誠実・創意・気魄
設立年月日1962年(昭和37年)4月1日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
フロンティア科
学期3学期制
学校コードD145220160053
高校コード45119D
所在地〒880-0926
宮崎県宮崎市月見ヶ丘5-2-1
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宮崎県立宮崎南高等学校(みやざきけんりつみやざきみなみこうとうがっこう)は、宮崎県宮崎市月見ヶ丘五丁目に所在する公立の高等学校。
概要
歴史
1962年(昭和37年)に「宮崎県立宮崎大淀高等学校」から普通課程と家庭課程が分離する形で設置された。当初は「宮崎県立宮崎大淀第二高等学校」であったが、翌1963年(昭和38年)に現校名の「宮崎県立宮崎南高等学校」に改称した。1962年(昭和37年)を創立年としており、2012年(平成24年)には創立50周年を迎えた。正面玄関が2階にあることも特徴。また、学校西側にかつて存在した田吉池の埋め立て工事が完了し住宅地に転用されたことに伴い裏門の位置が変更された。変更された裏門には自転車・歩行者用スロープが設置された。
設置課程・学科
一年次 普通科7クラス フロンティア科2クラス
二年次 普通科7クラス フロンティア科3クラス(文理分割)
三年次 普通科7クラス フロンティア科3クラス(文理分割)
全日制課程 2学科
普通科 一年次は2クラス 2・3年次は文理各1クラスずつ特別クラス設置あり(2022年度入学生より特別クラスの廃止)
フロンティア科 - 文系・理系を問わず、難関大学・難関学部を目指す生徒を対象としている。2年次・3年次に文理融合特別クラス設置あり
GIGAスクール構想により、授業や探究活動において、ICTを活用する取り組みを進めている。
進学状況
大半の生徒が国公立大学をはじめとする上級学校への進学を目指している。過去に合同選抜を行っていたこともあり、宮崎大宮高等学校、宮崎西高等学校、宮崎北高等学校と合わせて「宮崎市内四校」と称される。宮崎大学へ一番近い高校とし、宮崎大学教育学部と連携協定を結んだ。
校訓
「誠実・創意・気魄」
校章
海にはばたく鵬を図案化したものを背景にして「高」の文字を置いている。この校章にちなみ1966年(昭和41年)完成の格技館を「育鵬館」と命名。また体育大会・文化祭を「鵬祭」(体育の部・文化の部)、同窓会を「鵬同窓会」としている。
校歌
作詞は黒木淳吉、作曲は服部良一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「宮崎南」が登場する。
校地の事情
宮崎空港に近いため常に航空機騒音に悩まされる。騒音を防ぐためには窓を全部閉め切らなければならず、夏は高温にさらされることから早くから冷房を整備している。2021年(令和3年)に冷房設備の切り替え工事を実施。
同窓会
校章にちなみ「鵬同窓会」と称している。
併設
宮崎県高等学校体育連盟事務局(担当校)本校・管理棟2階 東側
沿革
年表
前史
1918年(大正7年)5月1日 - 宮崎郡立職業学校から分離し、宮崎郡立技芸女学校として独立。
1922年(大正11年)4月1日 - 宮崎県宮崎技芸女学校に改称。
1928年(昭和3年)4月1日 - 宮崎県立宮崎女子高等技芸学校に改称。
1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、宮崎県立宮崎第二[1]高等女学校に改称・改編。
1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
高等女学校としての募集を停止。
新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
高等女学校3・4年生はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することができた)。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、宮崎市内の県立旧制中等教育学校3校が統合され、新制高等学校「宮崎県立宮崎大淀高等学校」が発足。
県立旧制中等学校3校 - 宮崎工業学校、宮崎第二高等女学校、宮崎農学校
通常制(普通課程・工業課程・農業課程)、定時制(工業課程・農業課程)を有する総合制の高等学校であった。
旧3校の卒業者(5年修了者)を新制高校1年生、旧3校の4年修了者を新制高校2年生、併設中学校(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
旧4校の併設中学校も統合され、「宮崎県立宮崎大淀高等学校 併設中学校」と称する。在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
宮崎県立宮崎大淀高等学校の沿革に関しては宮崎県立宮崎工業高等学校#沿革も参照。
正史
1962年(昭和37年)
4月1日 - 高校再編により、宮崎県立宮崎大淀高等学校から普通課程と家庭課程が分離し、宮崎県立宮崎大淀第二高等学校として独立(創立年)。
新校舎が完成するまでの間、宮崎大淀高等学校(現・宮崎県立宮崎工業高等学校)の校舎を共用。
12月25日 - 新校名が「宮崎県立宮崎南高等学校」に決定。
1963年(昭和38年)
3月 - 宮崎県立宮崎大宮高等学校の間で合同選抜入試を開始(宮崎市内2校)。
4月1日 - 宮崎県立宮崎南高等学校(現校名)に改称。家庭科を家政科と改称。
7月7日 - 校舎が完成し現在地に移転。
1965年(昭和40年)
2月20日 - 県公会堂にて初の卒業式を実施。
4月1日 - 2学期制で前期と後期の間に3?5日程度の秋休みが設けられた。当時のスローガンは「追い付け、追い越せ、追い越されるな」
1966年(昭和41年)
2月 - 格技館「育鵬館」と体育館が完成。
5月9日 補習講座開講(後の進学講座)。
1967年(昭和42年)
2月 - プールが完成。