この項目では、版画家について記述しています。大正・昭和初期の実業家の同名の人物については「宮崎敬介 (実業家)」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
宮ア敬介
宮崎 敬介
(みやざき けいすけ)
誕生日1970年
出生地 埼玉県所沢市
国籍 日本
芸術分野版画
教育武蔵野美術大学造形学部卒業
影響を受けた
芸術家柄澤齊
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宮崎 敬介(みやざき けいすけ、1970年〈昭和45年〉 - )は、日本の版画家。宮ア 敬介とも表記される。 1970年、アニメーターの宮崎駿と大田朱美の二男として、埼玉県所沢市に生まれた。版画家柄澤齊の作品に感動したことをきっかけに、武蔵野美術大学造形学部在学中に独学で木口木版画を始めた。 卒業後は版画家として活動し、木口木版画の制作を続けている。普段は父親が著名なアニメーション監督であることを伏せて創作活動をしているが、一部作品を父の関わった作品に提供したことがある[1]。 父はアニメ監督の宮崎駿。母は元アニメーターの宮ア朱美。兄は環境デザイナー、アニメ監督の宮崎吾朗。祖父は版画家の大田耕士[2]。
概要
人物・家族
略歴
1970年 埼玉県に生まれる。
1990年 武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン科入学。
1994年 同校卒業。
1995年 アニメ映画『耳をすませば』用に「牢獄でヴァイオリンを作る職人」を制作。
1996年 木口木版画展「MOONSHINE」(ピンポイントギャラリー)
1997年 ザイログラフィア木口木版画7人展(ガレリアグラフィカ)宮崎敬介木口木版画展(加藤京文堂)
2000年 木口木版画展「PLANET」(ピンポイントギャラリー)
2001年 木口木版画展「wood engraving 放浪時代」(松明堂ギャラリー)
2002年 三鷹の森ジブリ美術館展示用に木口木版画を制作。
2003年 堀田善衛『路上の人』『聖者の行進』『時代と人間』の表紙版画を制作。木口木版画展「プラネット」(ピンポイントギャラリー)
2004年 木口木版画展「calling」(松明堂ギャラリー)
2006年 木口木版画展「サイレンス」(ピンポイントギャラリー)
2007年 木口木版画・銅版画 宮崎敬介・佐藤妙子展(松明堂ギャラリー)
脚注^ 『耳をすませば』に登場する本の中の“牢獄でヴァイオリンを作る職人”の挿絵、三鷹市立アニメーション美術館に展示された版画。
^ 『折り返し点』(宮崎駿、p.196)
関連項目
耳をすませば
三鷹の森ジブリ美術館