宮城県民会館
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東京エレクトロンホール宮城
Tokyo Electron Hall Miyagi


情報
通称県民会館
正式名称宮城県民会館
Miyagi Prefectural Auditorium
完成1964年7月31日
開館1964年9月1日
客席数1,590席
延床面積12,470.04m²
用途コンサートホール・会議室
運営宮城県民会館管理運営共同企業体[注釈 1]指定管理者
所在地980-0803
宮城県仙台市青葉区国分町三丁目3番7号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度15分57.5秒 東経140度52分4.2秒 / 北緯38.265972度 東経140.867833度 / 38.265972; 140.867833 (東京エレクトロンホール宮城
Tokyo Electron Hall Miyagi)座標: 北緯38度15分57.5秒 東経140度52分4.2秒 / 北緯38.265972度 東経140.867833度 / 38.265972; 140.867833 (東京エレクトロンホール宮城
Tokyo Electron Hall Miyagi)
アクセス仙台市地下鉄南北線勾当台公園駅公園2番出口から徒歩15分[1]
外部リンク ⇒宮城県民会館
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宮城県民会館周辺の様子(2009年11月29日)

宮城県民会館(みやぎけんみんかいかん)は、宮城県仙台市青葉区国分町三丁目にあるコンサートホール会議室等の文化施設である。開館は1964年(昭和39年)。

命名権の売却により、2008年平成20年)4月1日から「東京エレクトロンホール宮城」が優先的に用いられる愛称として使用されている[2]

施設の老朽化に伴い、みやぎNPOプラザ(宮城野区)とともに、仙台市宮城野区の仙台医療センター跡地に移転集約されることになっている[3]
概要

1964年(昭和39年)、宮城県の県民会館条例に基づき設置された[4]

県民会館条例第3条では、次に掲げる業務を行うとされている[4]
文化芸術活動のための施設の提供に関すること。

文化芸術を鑑賞する機会の提供に関すること。

文化芸術活動に参加する機会の提供に関すること。

文化芸術活動に係る情報の提供に関すること。

文化芸術団体の育成及び支援に関すること。

文化交流に関すること。

前各号に掲げるもののほか、会館の設置の目的を達成するために知事が必要と認める業務

県内最大である1590席の大ホールを擁し、クラシック音楽ポピュラー音楽演歌演劇古典芸能舞踊など、様々な公演がここで催されている。定禅寺通に面して建っている。
命名権

宮城県は、2007年(平成19年)に宮城県民会館の命名権を売却した。東京エレクトロン東京都)がこれを年間5000万円で取得し、施設名称(愛称)が2008年(平成20年)4月1日から「東京エレクトロンホール宮城」になった[2]。2013年(平成25年)4月1日からは、命名権の契約企業が東京エレクトロンの子会社の東京エレクトロン宮城(宮城県黒川郡大和町)に移ったものの、愛称は継続された[5]。2014年(平成26年)4月1日からの愛称も継続が決まり、年間3000万円で東京エレクトロン宮城が再契約した[6][7]

愛称「東京エレクトロンホール宮城」の契約状況契約期間契約企業契約金額
2008年4月1日?2013年3月31日(5年間)東京エレクトロン(東京都)5000万円/年
2013年4月1日?2014年3月31日(1年間)東京エレクトロン宮城(宮城県)
2014年4月1日?2017年3月31日(3年間)3000万円/年
2017年4月1日?2020年3月31日(3年間)
2020年4月1日?2023年3月31日(3年間)

指定管理者

県民会館条例第4条で指定管理者に会館の管理を行わせることになっている[4]。宮城県民会館の指定管理者には宮城県民会館管理運営共同企業体(公益財団法人宮城県文化振興財団、東北共立、陽光ビルサービスの共同企業体)が指定されている[8]
歴史

画像外部リンク
smt「 ⇒せんだい時遊map」写真
1964年の宮城県民会館の写真
1976年頃に勾当台歩道橋から撮影した定禅寺通(宮城県民会館は右上)

開館まで

宮城県民会館の建設以前、宮城県の集会場、催事施設として定禅寺通櫓丁に宮城県労働会館があった。宮城県労働会館の建物はもともと1950年(昭和25年)12月に開館した仙台劇場で、宮城県がこれを買収して1954年(昭和29年)4月に宮城県労働会館と改称した。宮城県労働会館は演劇場だったが、政党集会や労働争議集会にも使われた。宮城県労働会館では増改築がたびたび行われたが、老朽化などの問題があり1962年(昭和37年)10月にこの会館は閉館した[9]

近代的文化施設の建設は宮城県の課題だったが、財政上の問題があり簡単には実現しなかった。日本の高度経済成長の中で、宮城県の財政が回復の兆しを見せはじめると、ようやく宮城県民会館の建設が決まった。1962年(昭和37年)に予算化が行われ、1963年(昭和38年)1月から建設工事が始まった。建設場所は労働会館跡地だったが、それだけでは手狭であるとして、隣接民有地が買収され県民会館の敷地に組み入れられて、敷地面積は約3600平方メートルとなった[9]山下寿郎山下寿郎設計事務所)が建物を設計し、外壁デザインを杉村惇が担当した。

宮城県民会館は1964年(昭和39年)7月31日に竣工した。建設費は約6億円(当時)だった。この時の建物は、地下1階、地上6階、建築面積約3200平方メートル、建築総面積約1万2500平方メートルの建物で、大ホール区画と会議室区画に分かれていた[9][10]。大ホールは1階から5階に渡る吹き抜け構造の多目的ホールで、建設当時は1732の客席があった[注釈 2]。また舞台設備として、廻り舞台、花道、オーケストラピットなどが備えられていた[11][12]。開館に当たって、県民や企業から器具や備品などの寄付があり[9]、大ホールの第一緞帳七十七銀行が、第二緞帳はユニチカが、絞緞帳は東北電力が寄贈したものだった[13]。同年8月末にこけら落としとして歌舞伎公演や辻久子によるヴァイオリン独奏会が行われ[14]、9月1日をもって宮城県民会館は開館した[9]。開館当時の会議室区画には、売店や理容室、コーヒーショップがあり、地域住民が集まる場所でもあったという[11]
開館後

開館後、コンサートを中心とした様々な催しがここで行われた。1984年(昭和59年)には新日本フィルハーモニー交響楽団を率いた小澤征爾がここでタクトを振った。この他にも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団や、マルタ・アルゲリッチヨーヨー・マミッシャ・マイスキーといった著名な楽団や演奏者がここで演奏した[15]。また、美術文芸講座がここで企画され、絵画や書道、美術教養、短歌、俳句、川柳の6教室が1997年(平成9年)まで開講した[16]


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