宮城県における花競馬
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宮城県における花競馬(みやぎけんにおけるはなけいば)では、宮城県で開催された花競馬の歴史ついて記述する。
目次

1 花競馬とは

2 花競馬場一覧

2.1 (初代)仙台競馬場

2.2 石巻の花競馬

2.3 鹿又競馬会

2.4 龍ノ口神社奉納競馬

2.5 岩ヶ崎の花競馬

2.6 色麻の花競馬

2.7 新月村の競馬大会

2.8 大谷村花競馬

2.9 塩釜競馬会

2.10 鹿島台の秋季花競馬

2.11 小牛田花競馬

2.12 涌谷の花競馬

2.13 登米町競馬会

2.14 気仙沼競馬会

2.15 若柳の花競馬

2.16 佐沼の競馬

2.17 蒲生の競馬場

2.18 その他


3 脚注

4 参考文献

5 関連項目

花競馬とは

花競馬とは、19世紀末頃から20世紀中頃の間に行われていた草競馬を指す。目的は神社奉納や町興しである事が多かった。花競馬は宮城県に限らず日本各地の自治体で開催されており、宮城県では特に県北方面で盛んであった。

その起源と終焉を特定する事は難しいが、宮城県で記録が見られるようになるのは明治20年代頃、逆に記録が見られなくなるのは昭和30年頃である。この明治20年代?昭和30年代の間に宮城県では実に延べ20ヶ所を超える地域で花競馬が開催されていた。多くは神社や町の広場を使っての開催であったが、中には常設の競馬場を有している所もあった。

騎乗の技術は、残されたわずかな写真資料にモンキー乗りで騎乗している騎手が写されている事から、かなり高いレベルにあったと推認される。入着の対価は賞金賞品であった。馬券発売については、あくまでも私的団体が開催する競馬であるため認められなかった。

当時は娯楽が少なかった事もあって数万人の人出を集める事もあったが、開催の是非がその年の豊作凶作等に大きく左右される等、不安定であった。又、当時の公認競馬を開催していた宮城県産馬畜産組合が遺した事績書「宮城県産馬要覧」には、「(宮城県産馬畜産組合は)若干の補助金をだして、花競馬を助成していた」とある。
花競馬場一覧

以下は記録に見られる、宮城県花競馬の一覧である。記録に残らなかったものや、未発見のものも含めると、その数は更に多くなる。
(初代)仙台競馬場

1889年明治22年)5月、仙台の青葉神社1874年(明治7年)創建)の門前南東に開場された仙台競馬場は、青葉神社の祭礼に合わせて競馬開催を行っていたが、主催は仙台競馬会社であり、競馬の見物料を収入源とした法人興業であり花競馬とは趣を異にしていた。

しかし、その事業が失敗に終わると1892年(明治25年)からは神社奉納のために競馬が行われるようになり(=花競馬の開催)、1895年(明治28年)には「奉納臨時競馬事務所」が設立された。

仙台競馬場の明確な終焉時期は未特定であるが、遅くとも、仙台宮城野原競馬場で競馬が開催され、公認競馬が芽吹いた1911年(明治44年)には既に閉鎖されていたと考えるのが妥当であろう。

当競馬場の跡地には、1922年大正11年)10月6日に仙台軌道(仙台鉄道)・通町駅が設置された。
石巻の花競馬

石巻市史によれば、1913年(大正2年)に鰐山(現在の配水池の西面)の傾斜地において花競馬が行われ、近村から農馬や挽馬の出場があったという。

1915年(大正4年)には牡鹿郡蛇田村(現・石巻市)に石巻競馬場が設置され、花競馬の他にも宮城県産馬畜産組合による公式競馬も行われるようになった。
鹿又競馬会

1918年(大正7年)9月2日付け河北新報には、桃生郡鹿又村四ツ谷青年会主催のもと、8月26日に鹿又村梅木谷地(現・石巻市河南地区)において競馬会を開催し3000余名の盛会を呈したとある。


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