宮城学院女子大学
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宮城学院女子大学


大学設置1949年
創立1886年
学校種別私立
設置者学校法人宮城学院
本部所在地宮城県仙台市青葉区桜ヶ丘9-1-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度18分24.79秒 東経140度51分12.46秒 / 北緯38.3068861度 東経140.8534611度 / 38.3068861; 140.8534611座標: 北緯38度18分24.79秒 東経140度51分12.46秒 / 北緯38.3068861度 東経140.8534611度 / 38.3068861; 140.8534611
キャンパス桜ヶ丘キャンパス
学部現代ビジネス学部
教育学部
生活科学部
学芸学部
研究科人文科学研究科
健康栄養学研究科
ウェブサイトhttps://www.mgu.ac.jp/
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宮城学院女子大学(みやぎがくいんじょしだいがく、英語: Miyagi Gakuin Women's University)は、宮城県仙台市青葉区桜ヶ丘9-1-1に本部を置く日本私立大学1886年創立、1949年大学設置。大学の略称は「宮学」(みやがく)もしくは「MG」(エムジー)。創設者を同じくする東北学院「TG」とは姉妹校である。
概観
大学全体

女子教育を行うミッションスクールのひとつ。

日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の設立に関わった押川方義と、1885年明治18年)に来日したアメリカ人ドイツ改革派教会宣教師W.E.ホーイが、「女子に対する高等教育の必要性」を痛感したことから、彼ら2人が中心となって、1886年明治19年)に、福音主義キリスト教に基づく私塾である「宮城女学校」を宮城県仙台区に開校したことが始まりである。

押川方義

W.E.ホーイ

E.R.プールボー

1946年昭和21年)には、組織の拡充に伴い、校名を「宮城学院」に改称。現在は、幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院を有する総合学園となり、2011年平成23年)に創立125周年を迎えた。同窓生は延べ85,000名を超えており、国内外において、さまざまな領域の第一線で活躍するOGも多い。北日本の私立女子教育界においては、最も伝統と実績がある最古の女子総合学園である[1]

併設の中学校や高等学校との連携した一貫教育における、教養教育リベラル・アーツ)を重視しており、特に音楽科は、宮城女学校時代に設置された歴史を持ち、ながらく北日本における唯一の学科であった[注 1]
建学の精神

宮城学院では「福音主義キリスト教の精神に基づいて学校教育を行い、神を畏れ敬い、自由かつ謙虚に真理を探究し、隣人愛に立ってすべての人の人格を尊重し、人類の福祉と世界の平和に貢献する女性を育成すること」を建学の精神として創立以来守っている。

また、建学の精神を受けて、「神を畏れ、隣人を愛する。」をスクール・モットーとしている[2]
沿革
年表

年表沿革
1886年押川方義とW.E.ホーイが中心となり、「宮城女学校」を創立。
ドイツ改革派教会の女性宣教師エリザベス・R・プールボー(Elizabeth R .Poorbaugh)が初代校長に就任[3]
1891年宮城女学校ストライキ事件起こる。
1900年聖書科を設置(1941年廃止)[4]
1911年高等女学校令による女学校として「宮城女学校」を設置。
1946年専門学校令により、宮城学院女子専門学校を設置。
1947年新学制により、宮城学院中学校を設置。
1948年新学制により、宮城学院高等学校を設置。
1949年宮城学院女子大学(学芸学部英文科音楽科)を設置。
1950年宮城学院女子短期大学を設置。
1951年学校法人宮城学院が設置認可された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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