宮城事件
場所 日本 東京都麹町区 宮城(皇居)
日付1945年(昭和20年)
8月14日 - 8月15日
概要クーデター未遂事件
死亡者森赳陸軍中将
白石通教陸軍中佐
犯人陸軍将校数名
動機日本の降伏(玉音放送)阻止
対処田中静壱東部軍管区司令官による鎮圧
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宮城事件(きゅうじょうじけん)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。終戦反対事件(しゅうせんはんたいじけん)、あるいは八・一五事件(はちいちごじけん)とも呼ばれる[1]。
日本の降伏(ポツダム宣言受諾)を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳陸軍中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし、陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、一部は自殺もしくは逮捕された。これにより、玉音放送と日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
主要人物
政府
昭和天皇
鈴木貫太郎(首相、元侍従長、海兵14期)
阿南惟幾(陸軍大臣、元侍従武官、陸士18期)
米内光政(海軍大臣、元首相、海兵29期)
東郷茂徳(外務大臣)
石渡荘太郎(宮内大臣)
陸軍省・参謀本部
梅津美治郎大将(参謀総長、陸士15期)
東条英機大将(元首相、陸士17期)
荒尾興功大佐(陸軍省軍務局軍事課長、陸士35期) - 関与
稲葉正夫中佐(陸軍省軍務局軍事課編制班長、陸士42期) - 関与
井田正孝中佐(陸軍省軍務局軍事課員、陸士45期) - 首謀、自決断念
竹下正彦中佐(陸軍省軍務局軍務課内政班長、陸士42期) - 発端文書作成
椎崎二郎中佐(陸軍省軍務局軍務課員、陸士45期) - 首謀、失敗後自決
畑中健二少佐(陸軍省軍務局軍務課員、陸士46期) - 首謀、失敗後自決
第12方面軍兼東部軍管区
田中静壱大将(司令官、陸士19期)- 叛乱鎮圧指揮
高嶋辰彦少将(参謀長、陸士30期首席)