宮台真司
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宮台 真司
みやだい しんじ
2016年
人物情報
全名宮台 真司
生誕 (1959-03-03) 1959年3月3日(65歳)
日本宮城県仙台市
学問
時代20世紀 - 21世紀
活動地域 日本
学派自由主義
保守主義
研究分野人文科学
社会科学
社会学
数理社会学
研究機関東京大学
東京外国語大学
旧・東京都立大学
首都大学東京
東京都立大学

青山学院大学
博士課程指導教員吉田民人
特筆すべき概念終わりなき日常
まったり
島宇宙
脱社会性
根源的未規定性<世界>/<社会
模倣感染(ミメーシス
なりすまし
クソ社会
感情の劣化
加速主義
多視座主義
森の哲学
記憶
主要な作品『権力の予期理論』
『サブカルチャー神話解体』
『制服少女たちの選択』
『終わりなき日常を生きろ』
『14歳からの社会学』
『日本の難点』
影響を受けた人物吉本隆明
高橋和巳
西部邁
足立正生
若松孝二
アントニオ・グラムシ
廣松渉
小室直樹
見田宗介
ニクラス・ルーマン
イヴァン・イリイチ
マルティン・ハイデッガー
ノーム・チョムスキー
影響を与えた人物鈴木謙介
西田亮介
堀内進之介
塚越健司
内藤朝雄
藤井誠二
東浩紀
田村哲樹
千葉雅也
落合陽一
三坂知絵子
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宮台 真司(みやだい しんじ、「宮臺眞司」とも表記。1959年3月3日 - )は、日本社会学者映画批評家[1][2]社会学博士東京大学・1990年)(学位論文「権力の予期理論?了解を媒介にした作動形式?」[3][4][5]。元東京都立大学教授[6][5][7]大学院大学至善館特任教授[8]。「オウム事件真相究明の会」呼びかけ人[9][10]宮城県仙台市出身[1]
経歴
1950年代 - 1980年代

1959年、仙台市に生まれる[11]。父親の転勤に伴い小学生時代の大部分を埼玉県入間市京都府京都市で、小学6年生の秋から大学生時代を東京都三鷹市神奈川県大和市で過ごす。小学生時代、6回転校を経験した。小学校時代については、度重なる転校経験や早生まれという身体的なハンディキャップがあったことなどから、「周囲やコミュニティーに対するコミュニケーションの手法について、非常に意識的だった」、「『自分』をどのようなキャラクターとして演じるか、転校するごとに自分で考えて切り替えていた」と宮台は振り返っている。

1971年、学園紛争で荒廃していた麻布学園に進学する。宮台も、この頃から好んで哲学思想の本を読むようになる[12]。1977年、麻布高校卒業。同年に駿台予備学校入校。一浪後の1978年、東京大学教養学部文科III類に進学する。廣松渉小室直樹見田宗介吉田民人らに師事した。1980年東京大学文学部社会学科進学、1982年東京大学大学院社会学研究科入学。

社会学者の佐藤俊樹によると、東大の「規範研究会(木曜午後開催)」のメンバーであった。メンバーは全員で6人で、坂本佳鶴恵、石川洋明、奥山敏雄、そして立岩真也[13][14][15][16][17]。佐藤は、はじめて、当時、修士2年生だった宮台にあった時の印象について、「その歩き方をみて『まるでトンボ型の宇宙人みたいだなあ』と思ったのが、宮台さんに対するぼくの第一印象である」と振り返っている[18]

1984年、同大学院修士課程修了。

高校2年生から3年生、大学1年生から2年生当時は学校にほとんど通っていなかったと述べている[19]
1990年代

1990年、権力関係を数理的(数理社会学)に分析する論文『権力の予期理論』[20]で社会学博士の学位を取得。1993年からブルセラ[21]援助交際オウム真理教などを論じる。

中央公論』1994年1月号に山崎浩一秋元康との「逆襲された「メディアの神話」(′93世相座談会)」と題した対談が掲載された。1999年から神保哲生が代表を務めるインターネット放送局ビデオニュース・ドットコムで、神保とともに『マル激トーク・オン・ディマンド』のホストを務めている。

1990年代後半から、内藤朝雄ノンフィクション作家藤井誠二管理教育についての取材・研究をもとにした書籍を発表する。
2000年代 - 2010年代前半


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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