宮下隼一
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元競泳選手の「宮下純一」とは別人です。
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出典検索?: "宮下隼一" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年4月)

宮下 隼一(みやした じゅんいち、1956年8月12日[1][2] - )は、日本脚本家である。長野県[1]長野市出身[2]。旧筆名は宮下 潤一(読みは同じ)。主に刑事ドラマ特撮アニメーションなどの脚本を手がけている。
略歴

横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業[1]。同窓に岸間信明平野靖士らがいる。元々は監督志望で、テレビ映画の助監督として活動していたが、石原プロモーションプロットを持ち込んだ事がきっかけで永原秀一の門下に入り、1979年に『西部警察』第7話「暴走刑事を撃て」で脚本家としてデビューした[3][1][4]。その後、テレビ朝日プロデューサーの紹介で『特捜最前線』の後半では中心ライターとして活躍する[4]

同作の終了後は石原プロや東映特撮作品で活動するようになる[4]。『特捜』プロデューサーの阿部征司からの堀長文を紹介され、『仮面ライダーBLACK』第5話「迷路を走る光太郎」で特撮作品に初参加する[4]メタルヒーローシリーズ1990年の『特警ウインスペクター』から参加し、1992年の『特捜エクシードラフト』 - 1996年ビーファイターカブト』まで5年連続でメインライターを務め[3][1]、最終作である『テツワン探偵ロボタック』まで関わった。

1984年の『キャッツ・アイ』(2nd season)第3話「天使たちの身代金」においてアニメーション作品にも進出。同作との繋がりで東京ムービートムス・エンタテインメント)作品への参加が多い。

杉村升らが中心となって設立したフラグシップに参加し[3]、ゲームシナリオも手掛けるようになる。

2002年に結婚[5]

2015年に開設された東京作家大学で講師を務める[1]

2018年、自身初のオリジナル小説『餓える心臓の往くところ。』(新波出版)を発表。
作風

「人間が絶対的な存在の争いに巻き込まれる」という展開を好んでおり、メインライターを務めた『特捜エクシードラフト』では、中盤の異星人の抗争や後半の神と悪魔の対決など、それまでのレスキューポリスシリーズとは一線を画するストーリーを執筆している[1]。子供番組としては観念的な内容であることから、監督から内容について質問を受けることが多かったというが、宮下はやりきったという思いであったことを述べている[1]。また宮下が執筆する作品では、老人や社会的弱者、不良少年などを主役に据えた作品が多いのも特徴。

フィクションがリアルな作劇一辺倒になることに異を唱えており、エンターテイメント性や救いの要素が必要であると考えている[1]。一方で、味方になる予定のライバルキャラクターや味方が裏切ったりする場合は、徹底して敵対させるようにしている[4]

メタルヒーローシリーズで玩具開発を担当した野中剛は、宮下は人情ものが得意と評している[3]

スーパー戦隊シリーズについては、主人公が複数いることからセリフの掛け合いやメインとなるキャラクターごとに内容を変化させられることからやりやすく楽しいと述べている[4]
エピソード

父親は若い頃は
ジャズミュージシャンだった[2]。最初は父と同じジャズの道へ進もうと考えていたことはあったが、家を継ぐ為に断念[2]。そのようなこともあって、自分が映画の道に進みたいと打ち明けた時、父親は反対しなかったという[2]

西部劇が好きだった父の影響で、幼少期から映画に親しんでいた[1]曽田博久曰く「映画と酒と本と拳銃(モデルガンだけど)がよく似合う人」[6]

特撮作品への参加は、『特捜最前線』のプロデューサーであった阿部が、『仮面ライダーBLACK』のプロデューサーを務めることになった堀から若い人材を求められ紹介したことによる[1]。宮下は子供番組へは初参加であったが、円谷プロ作品で助監督を務めていたことやホラー好きであったことなどから抵抗はなかったという[1][4]。2作品目となる『仮面ライダーBLACK RX』では、堀からの信頼を得ていたため自由にやらせてもらっていたという[4]

宮下が執筆した『特警ウインスペクター』第4話「命を運ぶドロボウ」は監督陣の間で誰が担当するか取り合いになったといい、宮下はそれを嬉しく思い後年のインタビューでも記憶に残ったエピソードとして挙げている[1]

助監督時代に円谷プロダクションでついた監督の東條昭平は気に入らないセットを壊すなど怖い監督として印象に残っていたが、『特警ウインスペクター』で監督と脚本家という立場で再会した際は別人のように優しく、拍子抜けしたという[1]


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